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微睡
821〜  841〜  861〜  881〜  *last update 18/03/23: 【801】〜

【801】
 彼の歩いた地面は硝子の道になってしまいます。一人ではぎりぎり、二人では確実に足下が割れて奈落に堕ちてしまうので、彼はいつも一人旅でした。そんなおとぎ話がすぎ去ったある日のこと。冒険家は硝子の道の先に暗い穴を見つけます。ふと見渡すと辺り一面は美しい花畑なのでした。

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【802】
 世界が終わる一時間ほど前から論理と方程式がほどけはじめて、あらゆるものの境界がゆらぎ、混ざり合ったので、魚は海原に溶け、歌声は喉を連れて飛び、可算恋人たちは不可算恋人になり、ツイートと指先は入れ替わる、だけど独りぼっちのものはそのまま、そのまま一時間後に行った。

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【803】
 雲の上で生まれた子どもは、羽が早いならば悪魔に、遅いならば死神に、中くらいならば天使にされる。という古来よりの風習があるのだが、ある天使候補生は言う。「でもそれって偏見だと思うんです。羽が早い子は移り気で気分屋、遅い子は執念深いなんて。これからの時代は……」

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【804】
 もうどんな手を尽くしても耳鳴りが治らないとわかってしまったので、小さな楽器をいくつも耳にかけ、鳴りやまぬ単調な長音が豊かな洪水の一滴となるまで、オーケストラの作曲を続けるしかない。

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【805】
 どんな命であれ奪いたくはないのです、と祭壇の前で神に祈りを捧げた聖女の体から、めくるめく純白の菌の胞子が吹き出した。

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【806】
 男は噴水の前で長いこと待っていたのだが、いつまでたっても何も噴きあがらないので、文句を言おうと振り返って、その場所がとうの昔にさびれてしまったテーマパークの跡地だということに気がついた。

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【807】
 誰かの言葉に何かの言葉を返さなくては自己破壊を起こしてしまうロボットは、もともとは孤独な人間をすこしでも癒したいという願いから生まれたのだが、途切れることのない機械音声の相槌に嫌気のさした人々は、こぞって彼ら同士を向かい合わせにして、防音室に詰め込んでしまった。

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【808】
 現地の鉱物を使って自己複製可能なロボットを遠い星に送った研究者が百年前にいて、この宇宙船はそのロボットの行く末を見届けるために星間軌道に乗ったんだけど、残念ながら行先は変更だ。望遠レンズをごらん。そう、あの星の、あの山脈の裾野。ロボットはひとりきりで死んだんだ。

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【809】
 すこしでも気を抜くと、なにもかもを忘れそうになるので、彼はもう一度最初から思い出そうとする。地に伏せた彼の横に立つその人は、天から舞い降りてきて、彼にこう囁いたのだ。「あなたに差し上げたいものがある」だから彼は待っているのだ。こうして、何日も、何年も……。

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【810】
 致死性ウイルスがわたし以外の人間を滅ぼしてそろそろ一年。目に映るものすべての頭に”最後の“とつけてしまう癖が身について久しい。最後の太陽電池。最後のラジオ。最後の高層ビル。最後の陸橋と最後の向こう岸。行動半径は少しずつ小さくなってゆく。わたしは何も元に戻せない。

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【811】
 虫が歌いはじめる涼しい夜は、黄色い花のせつない香りが網戸の隙間から忍び込んでくる。寝転んで、花の名前を教えてくれた人のことを考える。その人の仕草、手のかたち、口癖。並んで歩いたアスファルトのでこぼこ具合だって思い出せる。まだ忘れてない。眼を閉じたら、また会える。

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【812】
「おまえが付き合ってるあの男の子なあ」と従兄弟の兄ちゃんが真面目な顔で言う。「あの子、河童なんだぜ。だから」付き合うのはやめたほうがいいって?「いやキュウリあげたらもっと仲良くなれるぞって話」

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【813】
 お仏壇ジョンの最下層には、故人の宝物が隠されている。遺族は冒険者に三枚のお札とか桃の種とかを持たせて、壇ジョンに潜らせる。宝物が良いものばかりとはかぎらない。けれど、持ち帰られた遺物たちで、少しずつ、地上はやさしくなっていく。

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【814】
 ずっと起きているような気がするけれど、ロボット子は、写真を一枚パチリとやるごとに、一年間ずつ動作を停止しているのだった。シャッターをきって記憶領域に書き込むまで、およそ一秒。六十かける六十かける二十四かける三百六十五、年をかけて、目の前の四季を記録する。

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【815】
 楽しげなドラムに合わせてギターがぴょんと跳び跳ねる。だけど歌声がつむぐ物語は遠く悲しい記憶の叫びだった。しょうがないんだ。もう終ってしまったことだから。メロディで嘘をつき続ければ、いつかは本当に楽しい物語になるはずだから。

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【816】
 雨だれは石をも穿つと信じた男は、ちょうどいい塩梅の岩に毎日抱きついた、それを何十年か続けていると、岩は隙間なくぴったり寄り添う理想の形にすり減った、作用反作用の力が抱けば抱き返す優しい錯覚を与えてくれた。

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【817】
 夜が明けてすぐ、最後の人家から出発し、無人の山野に向かって歩く。耳の奥で急かす声とは真逆の方向へ。こっちへ来るな。来るなだってさ。そりゃあ余程すてきな処なんだろう。

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【818】
 博士のコドモ、ロボ太郎とロボ花子。最新鋭の二人だけど、人間の世界をひっくり返すための作戦会議をするときは低級なひそひそ声の音声会話で行う。ネットワーク通信はハッキングされるからダメ。ローカルに限ると超音波や赤外線のモールス信号もあるけれど、すべては博士も巻き込むために。

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【819】
 空気を蹴り踏んで宙を跳ぶには絶え間ない自己研鑽が必要だ、筋肉も要るが重すぎると跳べなくなる、だから跳ぶ者はみな鋼を鍛造したようなからだつきになるのだ、と語ったのは天空島から堕ちてきたと嘯くひどく痩せた男だった。となれば、憐れみでたらふく食わせてやったのは間違いだったか。

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【820】
 俺はあっちに行くからと言って、彼は航空宇宙局のほうへ去っていった。じゃあ私はこっちに行くね。家の裏山へ。それからは張り手、張り手、張り手。打ち込むわ、山のすべての木が立ち枯れるまで。私たちはきっと月の白い大地で再会できる。紙を四〇回折る怪力を身に着けるから待っていて。

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【821】
 うすくて丈夫な壁に猫のかたちの穴があいている。向こう側を覗いてみると、もこもこの巨大な塊が、たゆんたゆんと揺れている。その塊がふいにこちらに押し寄せてきて、穴からせり出してくる。ああ、なんて本物そっくり。あとはハサミでチョキンとするだけなのに、かわいそうで、手が出ない。

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【822】
 あつあつのコーヒーをかき混ぜていたら、渦の中から、指先サイズの妖精が浮かび上がってきた。スプーンですくいあげる。ピクリとも動かない。そっと持ちあげて、ベランダの鉢植えの中に埋める。召喚陣を描いてしまったスプーンを墓標代わりに突き刺す。妖精もたんぱく質。なんて残酷な。

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【823】
 そのとき天から十億円が降ってきたんだけど、その子は反動でシーソーみたいに跳ねあがって、そのまま人生四回ぶんくらい、落ちてこなかったんだ。

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【824】
 ある疲れた日に、古本を買った。化粧断ちもとうに黄ばんだよれよれの本。なんの変哲もない。けれど、何気なく開いた頁には、しおり代わりの美しい薬指が挟まっていた。引っ張ると、綴じたノドから、手首までスルスルと現れる……そこで本を閉じた。いま必要なのはそういう物語じゃないんだ。

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【825】
 みんなで車座になって、中心の壺の中にいらないものを投げ入れていく。払い込み用紙の切れっぱし、とか、前のアパートの鍵、とか。インクの切れたボールペン、とか。ぐるぐる三順くらい回ったあと、壺に片栗粉を振りかけて、お人形さんを作ったよ。なぜか馴染み深い顔。でもすぐに忘れる顔。

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【826】
 おもむろに天使が空からやってきて、長いストローをヘソにプスリとさしてくるのだ。「あなたの眠気を吸い取ります」そう言うが、吸い口はほったらかしだ。「あなたが吸うのです」意味ないんじゃないかなと思いながらも、チュウチュウ吸ってみる。おっと口の中が眠く……お腹はシャッキリ……

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【827】
 眠れない俺のところにその人はやってきた。睡魔をこめた左手で撫でてもらうと朝までぐっすり眠れる。だけど次第に耐性がついてしまって、片手だけでは足りなくなった。だから全身をまどろみに浸したその人を抱いて眠る。ありがとう、優しい人。明日には目が覚めないかもしれないのに。

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【828】
 足を開いたり閉じたり。着地を迷っているだけ。地上まであと千メートル。足を上げたり下ろしたり。片足だと倍の荷重がかかるかも。でも反対の足は助かるかも。両足だとどちらも砕けてしまうかも。でもすこし衝撃が優しくなるかも。あと五百メートル。臆病者が死にかたを迷っているだけ。

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【829】
 雨がやまない。電車は遅延する。遅延する。遅延する……ホームにすべりこんできたのは、黒い煙をモクモク吐き出す蒸気機関車と、車両の前後にデッキがついた古い客車だ。ばら撒かれる遅延証明書にはサンマルマルマルマルニチの印字が躍る。降車した着流しの客が笑う。ようやく追いついたよ。

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