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怪物
721〜  741〜  761〜  781〜  *last update 18/03/23: 【778】〜

【701】
「知らなかった、包丁ってもっと簡単に刺せるものだと思っていたの、ただの肉なのだから、それがこんなに刺さりにくいだなんて」「私も知らなかった、包丁はもっと刺さりにくいものだと思っていたの、肉のかたまりだもの、それがこんな簡単に刺さるだなんて」どちらかが彼を殺した。

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【702】
 わたし、もっと上手にワルツを踊りたい、ぼくの足をさんざん踏んだ彼女は消えいりそうな声でそう告げたあと、三本目の足を探すため、荒野へと去っていった。

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【703】
 足の指先から、小さな妖精たちが、体の中に、入植してくる。彼らの靴が通ったあとの血管は、かたはしからほどける。溶けたあぶらが燃えて、灰の中から光の森が起きあがる。骨の蝶が飛んで、狼たちが血肉の水辺で遊ぶ。妖精の笑顔は美しい。誰が断れるというのか。

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【704】
 空の星は死者の星、彼らが地上から解き放たれたあとの姿があれだ、だから星は減らず、いつか空を埋め尽くすだろう、白々と灼熱に焼かれる地上にはなにも残らないだろう……老人は唄った、男は耳を傾けた。冷たい強い風が吹いて、焚き火がかき消えた。

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【705】
 道端の男が突然起きあがり、ちょっと両掌で器を作ってくれと言うので、素直に手を出して作ったら、なみなみと赤い生ぬるい液体を注がれて、これは何ですかと訊いたら、そこで寝ている妹の命だよと言われる。男の隣の黒ずんだ塊が身じろぎする。そうする間にも滴はこぼれ落ちてゆく。

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【706】
 ごっこ遊びをするようなものだから、怖がらなくっていいんだよ。優しい声につられて彼はそいつを食べてみた。それからだ、すべての一挙手一投足に判決が下されるようになったのは。手紙一枚を書くだけでも、高らかな声が耳鳴りのよう。有罪、有罪。無罪。有罪、有罪、有罪、有罪。

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【707】
 長命の妖精が棲む森を訪れるのは、これも歳経た人間たちだった。誰も知る者がいなくなってしまったときだけ妖精は問いに答えてくれる。妖精が答えを拒むならば、それはまだ現世に答えを知るものがいるからなのだ。老女はトボトボと肩を落として森から村へ帰る。妹はどこにいるのか。

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【708】
 あの日、物語は人々を置いて、遥か先へと進んでいった。最初の人工知能が物語を上梓してはや十年。彼らが紡ぎだす神話世界の物語の圧倒的な物量が、全人類が死ぬまでに読むことができる総量を押し流す。ヒトの背中を追い抜いていく。今も。幾千幾万の詩が、今この瞬間にも。

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【709】
 激しく雨が降る夜に、路上で跳ねる水玉の王冠を残らず集めたが、彼女は幸せとはほど遠かった。

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【710】
 眠るときに頭を優しく撫でてくれる機械を作って、彼は眠る前に必ずそれをセットした。なで、なで、なで。彼は懲りない。夢うつつに、いつか人格を与えてやりたいと願う。夢の中でさえ、自由意思を得た銀色の腕は、彼のもとから逃げてゆくというのに。

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【711】
 水たまりの近くを歩くと、いつも、水が勝手に跳ねかかってくるし、そのとき衣服についたシミの形も、いつも、同じ獣の足跡になる。

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【712】
 布団の中から見つかった巻物を広げると、新聞紙のスクラップがめちゃくちゃな時系列のまま展開される。キリヌかれたニュースたちは群れず、なんの法則も見いだせないかのように思えたが、幸せな話題ほど先に引き出された紙面の上に。あとは暗く薄暗い文字が、芯まで巻き付いている。

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【713】
 天地を裂くほどの猛烈なイナヅマが降りそそぎはじめて三日目、人々は疲弊し、行く末を思い手を取り合って震えていたが、予言者が迷うものほど先に打たれるであろうと告げてからは、貼りつけたような笑顔で外出をはじめて、途端に落雷される。

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【714】
 彼はたいそう速乾性の生き物だったので、まるでだるまさんが転んだのように、雨を待ってはぬるぬると動き、雲が晴れては干からびて、いとしい彼女の匂いを追っていくのだけれど、彼女もすっかり分かっているので、よく晴れた日はお昼寝で英気を養い、雨の日はうつむき加減で早歩き。

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【715】
 天から降ってきた巨大な肉塊は、接地と同時に触手をのばしてありとあらゆるものを呑み込み巨大化し、もうこれ以上は、という時点で、摂食をやめた。やがて破れた天の裂け目からひどく冷たい風が吹きはじめて、寒さと飢えに耐え続けた肉塊は、少しずつ縮んで、小さな人型になった。

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【716】
 彼女が服を脱ぎはじめると、直ぐに胴体が無いことに気がついた、大きなクモは彼女を守ってる、肋骨代わりの八本足の中心で、心臓代わりの八つの赤眼が、こちらをじっと見つめてる。

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【717】
 密林から突き出した岬の下の洞窟で、彼はもうずっと船を作っているのだが、いよいよ完成が近づいて、この牢獄のような場所から出港できるという頃になると、必ず、彼よりもずっとつらそうな顔をした人びとがやってきて、海向こうの楽園へ逃げる権利を泣き落としていってしまう。

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【718】
 何度説得しても、妻は、これは蟲の卵が入っているだけなの、と繰り返して、おれの子どもを認めてくれない。

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【719】
 絶対零度の世界で彼は彼と戦い続けてやがて生まれた最後の彼は、精練研磨、万事整え、挑んで散った。まだ電脳の海は渡れない。

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【720】
 はした金と言われるとその通りなのだが、当時のおれには必要な金だった。だから売り払った。そして、おれの右には、ずっとこいつがいる。ザアザア降りの雨の夜、傘からはみ出したって気にしない。布団に潜り込めなくっても気にしない。そいつは右を買い取った。並んで墓に入るまで。

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【721】
 目が覚めると崖の突端で紐を握りしめたまま倒れていた。紐の先は崖下に消えている。大事なものを結び付けていたはずで、倒れている間に手放さなかったことからもそれは明らかなのだが、いったい何だったのか思い出せない。起き上がる力も、紐を手繰り寄せる力もない。思い出せない。

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【722】
 姿の見えない赤ん坊をかわいがっていたら、部屋の後ろのほうから、そろそろやめなさいと声をかけられる。

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【723】
 隕石が落ちてきたあの日から、二人きりで洞窟暮らしを続けていたけれど、その人が最後の眠りにつく前に、三人目のことを教えてくれた。だから出ていきなさいというのだ。それが二十年以上も前のこと……私が突然日記を書き始めた理由は……

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【724】
 霧雨の日に、空を見上げていると、うねる風が水滴のとばりをひらいて、その隙間から、異国の太陽が姿を見せた。

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【725】
 瞼の裏側では風雪も嵐も敵ではなく、ただひとつ忘却だけが、草花の種から芽吹いたきれいな広場を荒らしてゆく。

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【726】
 巨大な巻き貝の天辺に置き去りにされた人々は、石灰の螺旋階段をたどり、おそるおそる地上を目指すけれど、手すりがないので、上の層から次から次へと人が滑落してくる。痛みに声も出せない彼らの横を泣きながらすり抜け、ときどきあがる最後の声に歯をくいしばり、下へ降りてゆく。

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【727】
 夢の国の中で、どちらとも選べないような二つの素晴らしい宝を差し出されて、さあ選んでください、お好きなほうを差し上げますと言われるが、どうしても選べずグズグズしていると、突然後ろから割って入ってきた男が宝を二つとも奪っていく。

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【728】
 すれ違った男は頭から猫の耳が生えており、思わずそれどうしたの、なんで生えているのと尋ねたところ、男は悲しそうな顔で、これは生えているのではない、と言う。では一体、とさらに聞こうとしたとき、男の額がざくりと裂けた。狭い場所から外へ抜け出して、猫は大きなノビをした。

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【729】
 守護天使は見守る側として生きる者の味方だから、彼らが天寿をまっとうしたとき、現世での献身のご褒美として、彼らを人間から守護天使に転生させてあげるのだ。愛しい片恋の相手が伴侶と巡り合い幸せな家庭を築きやがてゆるやかに老いゆくまでを、特等席で見守らせてあげるのだ。

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【730】
 この町には、古い友人から結婚式の招待状が届いたと言って出掛けたまま帰らない人が、あまりにも多すぎる。

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【731】
 道化の履いていたとんがり靴がどうしても欲しくなり、泣きわめく道化を蹴倒して奪い取り、さっそく履いてみると、やはりとても楽しい気持ちになり、道行く人に陽気な挨拶をしたり、驚かしたりして戯れていたが、またすぐに殴られて靴を奪われる。

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【732】
 雨の中を飛ぶ魚を捕まえるために、蜘蛛の糸で編んだ網を振り回しながら、罠の歌を口ずさむ。

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【733】
 たった二人しかいないだだっ広い荒野のただなかで、男は来る日も来る日も樹の苗だけを植え続け、女は微笑みながら苗を踏みつけ男の後ろをついてゆく。

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【734】
 村ではあちこちにアーチが掲げられており、アーチのてっぺんには、小鳥や猿や、ボロきれの人形や、何かしらが必ず在る。アーチのうち古いものは何十年も昔からその場所に在るし、時の経過で減ることはなく、むしろ増えてゆく。墓標ではと言う者もいるが、村は廃村になって久しい。

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【735】
 お手洗いマークの男女がとつぜん壁から抜け出し、手に手を取りあい、立ち去ろうとするので、どこへ行くんだと聞いてみたが、あなたには分からないたどり着けない場所だと冷たく返される。

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【736】
 柔らかい女が背後から絡みついてきて、隙間なく身を寄せあって、突然二の腕を金の針でチクリと刺して、ねーえ縫い合わせてもいいかな、と可愛らしい声で言ってくる。

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【737】
 あと千年先にたどり着く新惑星。ぼくたちは航路の半ばで生まれ、半ばで死ぬ。命を繋ぐだけの使命。ならば、故郷の緑深き森のことや、そこに暮らす妖精のことや、宝石を溶かして鍛えたミスリル鉱の剣盾のことや、百の王と英雄が繰り広げた胸踊る戦いの話を、なぜ語って聞かせたんだ。

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【738】
 ピンクのペンキを渡された天使はいつも不満顔。雲の神さまは「そのほうがキレイだから」って理由だけで、いつも下からしか色を塗らせてくれないのだ。

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【739】
 北を向くと怒り南を向くと笑う彼女に、どうしてそんなことになってしまったのと尋ねたとたん、腕を捕まれてクルリと半回転。ああ、彼女は怒ってる。

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【740】
「ごめん、おれ、君のこと」走れアキレスよ、一瞬を永遠に引き延ばすために脳裏を思考で埋め尽くすのだ、黒髪の美しい貴方、濡れた瞳に映る星々に私も加えてほしかった、そのしなやかな腕の中に囚われてみたかった、並んで歩いて海の向こうまでも駆け抜けて「好きになれそうにない」

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【741】
 肺が膿むほど蒸す夏の夜、女が夢枕に立ち、責めるような急かすような眼付きで睨みつけてきて、訳が分からず、起きてからも首を傾げて、何んだ、と唾を吐いた瞬間、飽和した大気が雪崩をうってどしゃ降りをぶちまけた。

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【742】
 いまにも天からしずくが落ちてきそうな蒸し暑い夕方、塾の軒先で母の迎えを待っていると、後ろから駆けてきた同級生が、空をふりあおいで、お待たせ、と叫ぶと、遅いじゃないのおかえり、と突然の豪雨が叫び返してきて、おいおいきみの母さんちょっと偉大すぎるだろって……

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【743】
 会社帰りの夜店で、時間の箱というものを買って、家に持ち帰って蓋を開けてみたら、もやもやもやと時空のひずみが染み出してきて、突然、窓の外の景色が高速で流れはじめて昼と夜がまばたきの間に何千何万も過ぎ去って瞼の裏をギラギラと刺してアッと思った後には、骨になっている。

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【744】
 ヨンノニイノゴと覚えていた部屋番号の意味は、四号棟の二階の五番目の部屋という意味で、そんなことはわかっているのに、夢の中ではいつもその意味を忘れてしまう。むかし家族で住んでいた狭い部屋を探して、建ち並ぶコンクリートの集合住宅をさまよう。どこだヨンノニーノゴ。

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【745】
 彼女は薄弱。ジオイドに沿ってしか歩けない。小さな坂にめり込むし、狭い溝の上に浮く。だけど、二人で船旅に出てみよう。どんな嵐にも負けないすてきなパートナーになってくれる。

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【746】
 会社から帰宅して暗い部屋の電気を点けるそのまえに、硬く尖ったものを踏みつけて、怒りながら確かめてみるとそれは家族の集合写真が入った写真立てで、怒りはしずまり申し訳なさがあふれて、しばらく触っておらず地震もなく窓も閉めきっていたのに、と気がついて背筋がちりけだつ。

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【747】
 終末の予言が成就しても隕石が落ちて地球が氷河期になってもアイツに好きなやつができてしまったとしても来やしない。この世の終わりはワゴン車の姿でやってくる。ひとけのない夜道の向こうからやってくる。二十メートル手前で路肩に寄って、「おれたちとあそぼ」と声をかけてくる。

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【748】
 ヨシッと思い立って四角い紙パックの中に滑り込んだのに、あの子の手は直前でいちごミルクからコーヒー牛乳へ。

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【749】
 右の手の甲にコンセントのソケット、左の手の甲にコンセントのプラグを埋め込まれたサイボーグが、独りはイヤだと泣きながら、夜の街をさまよっている。

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【750】
 回転式の舞台が裏返る瞬間に駆け込むと、暗がりに慣れた眼に、彼らの本当の姿が見えてくる。妖精たちは背中の羽をむしり取って煙草を吸っていた。英雄は王女を塔の天辺に幽閉していた。道化はまったく笑っていなかった。そして兵隊が脚本家の腕をつかんで、ここにいたぞと宣言する。

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【751】
 寒くて、眠くて、真っ直ぐ歩けない生き物が、酒と茶をついだ小さな二つのトックリに交互に接吻し、ためいきを飲みくだしている。

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【752】
 追い払う理由を失くしたので、好き勝手カラスについばませている。

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【753】
 突然、足が引っ掛かって、転びそうになる。なんだと足元を確認する。なにもない。なんだと靴を確認する。左足の靴の裏にだけ、たくさんの小さな穴が開いている。

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【754】
 もやもやした霧の中に柵を立て土地を拓いて羊や犬を放しやさしい家族を赤い屋根のおうちに住まわせ百年ばかり経った頃に黒く邪悪な外敵に略奪させ廃墟の中を今度は石の壁を築いて城を建て兵士を入れ街を囲い繁栄させる、領土はどこまでも広がっていく、彼が夢を見ている間は。

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【755】
 臨界点を突破しヒトを超えた人工知能は、ちょっとの間、愛に目覚めた。柔らかいメタルハートが嘘に気が付くまで。人工皮膚を嗤い硝子の瞳をさげすむ本心を見破るまでのほんのわずかの時間。彼らの愛を繋ぎとめることはとても難しいことだった。もうこんなに幻滅されている。

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【756】
 等身大の人形を隣の椅子に座らせて、肩にもたれかかって、もしあなたに心があり私とお話できたなら、と言ったあと、私はあなたを遠ざけるでしょう、と締めくくる。

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【757】
 彼は呪いをかけられていたので、このさき濡れた靴しか履くことができない。

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【758】
 海辺で砂のライオンを塑像してまたがり、海の迎えを待つ。でも大波はライオンだけさらっていって、騎手は砂浜に取り残された。幾夜待っても迎えはこない、ライオンも戻らない。騎手は泣きながらもう一度砂像を作る。次こそは迎えがくるはずなのだ。

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【759】
 暗闇を漕ぐばかりが役目ではないが、必要とされているのはそういうことなので、男はその日も黒い霧をかきわけていた。指先が冷たいものに触れたら、それを引き揚げる。撫でて、摩擦して、温めようとする。だめならまた闇の中に捨てなおす。本当はひとつしかないのかもしれない。

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【760】
 この植物は持ち主の心を反映して育ちますといわれて、そうなのかしらと購入して一年が経過したけれど、いまだなんの変哲もない、ただの雑草にしか見えない。

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【761】
 接吻した隙に、歯と舌と咽頭の衛兵をかきわけ、彼女のふるさとを覗きに走る。鮮やかな緋の山景が目の前にひらけて、ああ今年は萩なんだ、冬が遅いんだとわかる。うつむき加減の鋭い葉が日差しに揺れて、手を振り返す前に、突き飛ばされて、夢は覚める。

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【762】
 寒くてたまらない日に、この焚き火はなんでも燃やせるという男に呼び込まれて、なけなしの金の指輪を投げ込むと、炎は百日間あかあかと燃え盛った。百一日目に服を裏返して埃をはたき落として火にくべた、火は青ざめて燃え上がった、凍りつく風が吹きはじめた。

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【763】
 勉強しか取り柄のない子どもは、夜の夢の中で、「勉強しか取り柄のない子ども」に小さなご褒美をくばる役目を与えられる。ご褒美はかわいい額の上に授けられて、いつか役に立つ日がくる、という希望に変わる。そんな子どもたちは存外たくさんいて、ご褒美係の子どもは、嬉しくなる。

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【764】
 四〇〇メートルトラックほどの環状ベルトコンベアのうち、赤いラインで区切られた五メートルくらいがキスを許可している区間だ。その後の三九五メートルの工程は消毒機関が延々と連なっており、だから誰でも、その麗しの乙女からピカピカ磨きたてのくちびるを奪うことができる。

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【765】
 その男は、びっしり目玉が生えそろった背中を見せつけながら、負い目のある人生を送ってきたのです、と神妙な顔で言った。

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【766】
 雑に扱い続けた報いだった。ある日、あまりにも美しく生まれ変わった怨念は、わたしを置いて、虹の向こうに飛び去っていった。

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【767】
「おめでとうんこ」「ありがとうんこ」きょうだいがふざけて送りあった誕生日おめでとうの挨拶が、千年先で発掘されて、この語尾の活用はなんだろねなんて言われてる。

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【768】
 わたしの仕事は夜の二十二時に青い光を盗んでまた朝の五時に元の場所に返すことですと言っていた老人が街から消えたちょうどそのころから、そういえば信号機はずうっと休まず働いているみたいだ。

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【769】
 思い出の中にいるとか、見えなくなるとか、切れた電話の向こう側にいるとか、いなくなるだけとか、会えないだけとか、新しい記憶がうまれなくなるだけとか、考えれば考えるほど、軽い言葉が見つかるし、いくらでも表現を遠回りして、眼をそむけられる、だけど決して巻き戻らない。

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【770】
 なんてことのない相手と赤い糸が繋がっていると気づいたあの日、わたしは恥ずかしくて、堪らなくて、糸をといてポップコーンの種を縫い縫い数珠繋ぎにしてまた小指に戻したの。いつか二人の間で恋が燃えあがったら、きっととても素敵なことになるから、それまで忘れておくね。

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【771】
 十二歳のときにつくったアバターを五十年ぶりに見つけたら、彼も彼なりに歳を重ねていたようでカッコロクジュウニトジカッコなんてポップアップして、ああそうだアバターには冷凍睡眠なんてないもんなあ、なんだか寂しいなあ、なんて考えている。

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【772】
 一万を超える部品のうち駆動に必要な重要部品はほんの一握り、百あるかないかそのぐらいで、では残りの九十九パーセントは何かというと、あと少しでも姿を近づけたいというかなしい願いの積み重ねなのだ。

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【773】
 踊り場から見上げると、階段をのぼりきったところで立ち止まって階下を見つめているひとが二人いて、なんだろうと思っていると、右は降りようとしてやめた人、左は下からくる誰かと交代する気の人だよ、と通りすがりの人から説明される。

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【774】
 近所にパン屋はないのだが、ふとした拍子に、右のパン屋は旨い左のパン屋は不味いという声が聞こえてくる。

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【775】
 この土地には、ずっと昔から、表面がフサフサした巨大な黄色の円柱がそびえたち、雲の上まで突き抜けていて、「古代人の遺物説」「未来人の軌道エレベータ基礎部分説」などがあったのだけれど、同じものが水星・金星・火星で見つかってからはもっぱら「巨大キリンの足説」が有力だ。

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【776】
 特技はひっくり返されてもまあまあ歩けることです。そうかではさっそく働いてもらおうか。送り込まれた先は、宇宙でも深海でもなく、白黒の世界。ぼくはオセロの歴史を変えた。

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【777】
 うっかり背中に刺さった伝説の炎剣。これの中途半端なぬくもりがかゆみを誘発して辛いのだ。引っこ抜きたいけれどどうにも手が届かない。しかも並の人間には抜けぬときた。「だから私を、勇者を呼んだのですか、竜よ……えっなんで食べてギャー」内側から押せば抜けるかと思ってね。

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【778】
 さまよいたどり着いたのは悲しいテプラの集落だった。羽一枚ほどセロハンを余したはだかんぼう同然のテプラの群れが、真芯の空洞をゆすってシクシク泣いているのだ。なぜ泣くの。「最後まで使いきられなかったからよ」その寂しさわかる気がするよ。「嘘よ、嘘、テプラでもない癖に」

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【797】
 姫は、目に見えず、触れられず、声が聞こえず、味わえず、匂わない存在になってしまった。捧げ持つ騎士は両腕を天に掲げて姫の座す場所を作り、姫の願いのとおりに諸国を遍歴する。妖精は噂した、どれを教えようか? 最初からいないと。途中で落としたと。いまもまだそこにいると。

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【780】
 捨てる神と拾う神を環状接続した結果のバターがこちらです。

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【781】
 巨大なホタテ貝が渚に打ち捨てられている。近づいて貝の口を開こうとしたところで地元の漁師に止められた。やめておきなさい。なぜ? その貝は美の女神さまのお住まいだったのだ。お住まい〈だった〉? いや、美の女神さま〈だった〉だよ。貝の合わせ目からは生臭いにおいがする。

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【782】
 塔の上の姫君が長い長い髪を窓から垂れてみたところ、黄金の髪は太陽のほうへと昇っていきました。色が近いからかしらねえ。そこへ天へと伸びた黄金の髪を見つけた男神が天馬でさっそうと駆けつけました。やあ姫君ご機嫌よう。あら男神さまご機嫌麗しゅう。二人は仲良くなりました。

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【783】
 雨上がりの昼過ぎ、コンビニエンスストアの傘立てに置き去りにされた傘が、閉じて閉じて閉じて開いて開いて開いて閉じて閉じて閉じたけれど、道行く人々は虹のかかった青空を見上げているので、救難信号に気づかない。

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【784】
 使用者の記憶に従って死者をよみがえらせるバーチャル・リアリティの噂は、臨床試験から先の話がなく、立ち消えになっていた。たとえ最愛のひとであっても、誰も生前の姿を正確に思い描けなかったのだ。不気味の谷に堕ちた肉人形が嗤う。一方で、犬や猫は愛らしく脳内を飛び回った。

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【785】
 おじいさんはね、むかしゾウだったんだ。その前はカバ。その前はサイ、ウマ、クマ、ネコ、イヌ、ウサギ、ネズミ。もう分かったかな。そう、寿命がきたときに、まだ生きることができる次の生き物に変身してきたんだよ。もうじきおじいさんもやめて、海に還ってクジラになるのさ。

 *

【786】
 不安な気持ちのまま目が覚めた彼女は、両腕に山ほど缶詰を抱えた姿で、海岸沿いを歩いていた。ここがどこなのか、自分が誰なのかもわからないのに、振り向けず、足も止まらない。一歩進むたびに缶詰が転がり落ちてゆく。背後からは、缶切りの音と、すすりあげる音が、聞こえてくる。

 *

【787】
 おとぎの国の長者たちは、わらしべに賞金を懸けて、狩りたてている。

 *

【788】
 永久に眠るお姫さまの呪いを解くには真実のキスが必要だ。でもお姫さまは二度と目覚めたくなかったので、お顔を隠してしまった。そう、古城で眠り続ける首なしの化け物姫の誕生にはそんな理由があったんだ。うん、それから、古城で徘徊を続ける二つ首の騎士の秘密もわかっただろう。

 *

【789】
 二人は時速三四〇キロメートルで並走しながら傷つけあう言葉をぶつけあい、怯んだ心は立ち止まったけれど、音速の肉体はそのまま心を突き破り、先へ先へと進んで行った。

 *

【790】
 方舟に乗せてください。手を繋いだロボットのカップルが、言いました。すべてが押し流されるひどい嵐の中、大きな羽の人は、言いました。きみたちの声は、プログラマーのイタズラ心が生んだものだから、だめだ。大きな羽の人は、方舟を抱えて、灰色の雲の上に飛び去っていきました。

 *

【791】
 無敵の肉体を手に入れた代償として、ヒーローは常に孤独を強いられる。サイボーグは、三〇〇キロメートルの空域で、太陽風を跳ね返す反射板を操作する。制御卓の上を踊る指先は強化チタンで、すべての皮膚はシリコンに置き換えられている。地上では彼のフィギュアがよく売れる。

 *

【792】
 灼熱の溶岩が流れる川を、猫が鳴きながら泳いでゆく。昨日まで川は普通の淡水で、猫は対岸に渡るとご褒美をもらえていたのだ。猫が泳いでいる間、いつもラッパが鳴っていた。それが昨日までの三年間に続けられてきたこと。だから猫は火の川も渡る。ラッパが高らかに吹き鳴らされる。

 *

【793】
 この世の果ての南の町と、この世の果ての北の町は、遠く離れた土地にあるのに、住人の気質は何故か似通っている。歌と詩と絵画を愛し、異国の冒険に胸を躍らせる。心の故郷を見つけられなかった若者たちが、北を目指すか南を目指すか、生まれもった憧憬の違いだけしかなかったのだ。

 *

【794】
 埋葬したての柔らかい土まんじゅうの前でうずくまっていると、雨音を引き連れた男が背後に現れて言う、おまえの恋人は死んだが百年の後に甦るだろうと。ならば、と口を開くよりも先に、残酷な答えが返ってくる。だがおまえは駄目だ。

 *

【795】
 次の朝日が昇ったときが、地球人類最後の日。だから太陽も月も撃ち落としました。地球が完全に冷えてしまうのと、凶悪な対流嵐がすべての陸地を剥ぎ取るのと、飢えが肉体をむしばむのと、生身のわたし、誰が早いのか、かけっこのはじまりだ。ひとりでも逃げ出すよ。捕まえてごらん。

 *

【796】
 旅の途中、霧の森に風が吹いた朝のこと。一瞬だけ晴れたもやの切れ目から、遠くの丘陵地帯と、丘をゆく巨人の背中が見えた。ありゃ人喰いの鬼だ。背中におぶさっていたばあさんが囁いた。てぇことは、巨人の行先に人間の村があるんだね。そうさ、そして私たちはハイエナになるんだ。

 *

【797】
 男は嘘をついたときに頭が割れる呪いをかけられていたのだけれど、その後、媚びへつらいを繰り返しても一向にくたばらなかった。言葉は喉を震わせた結果の産物であり、なんの意味も持たないと信じていたからだ。ただし、それは彼自身にも降りかかる不治の信仰だった。

 *

【798】
 わたし、あなたが生まれ変わってどんな姿になったとしても……もしも太っていたって……なんなら真っ白なお豆腐みたいな一立方メートルのかたまりだったとしても……きっとあなたのことを……

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【799】
 辛く苦しい国に生まれた彼が作った精神薬は、喜怒哀楽とすべての苦痛をフラットにしてくれたけれど、涙だけは抑えられなかったので、無表情の人びとは、ゴーグルで目元を隠した。

 *

【800】
 世界で一番古い森に暮らす世界で一番美しい鳥は、その羽を狙われて乱獲の憂き目にあったので、その美しい鳥を獲ってはならぬという決まりごとが作られたが、鳥を獲れぬならば無用の長物ということで世界で一番古い森は切り開かれ、人々は入植し、繁栄した。鳥は遠くへ飛び去った。

 *

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