童話
521〜 541〜 561〜 581〜 *last update 14/01/24: 【573】〜
【501】
テレビでは兎たちが跳ね回ってる。と、一抱えの箱を持った男が部屋に現れる。箱の側面には兎の絵。上に穴が一つ。手を入れろと言われる。嫌だなと思うが逆らえない。手を入れると動き回るくすぐったい何かが触れてくる。安心したところで男がチャンネルを変える。太った毛虫が映る。
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【502】
「どうも三半規管の尻が上がってしまったらしくてなあ」「どういうこと?」「平衡感覚が前のめりに傾いて、上り坂が平道に見えるし、平道は下り坂に見える」「下り坂は?」「下り坂は断崖絶壁。目がくらんで滑落しちまって」「死んだのね」「そう。で、こんなところにきたってわけ」
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【503】
金では動かぬ男を動かすために、札束を持って、涙の似合う零落した娘を探しに行く。
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【504】
誰も気づかないので真冬の氷点下でも扇風機は主人に風を送り続けた。冷蔵庫はビールを冷やし、カーテンは網戸にはためき、湯船は四十度の緑色の湯を湛えたまま。足を踏み入れた者は、誰かのいつかのために快適に作り上げられた一時の空間に、臓腑がよじれるほどの嫉妬を知るだろう。
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【505】
教室の隅にいる男の子の青白い顔をぶって聞く「ねえどんな気分?」するとこう、「教えてあげる」突然目が回ってあたしと男の子は入れ替わる、あたしの顔した男の子が男の子のあたしの頬をぶって言う「どんな気分?」「教えてあげる」こう、いつかあたしたちの気持ちはひとつになる。
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【506】
複雑怪奇に絡みあう大小の錆びた歯車は億をゆうに超えてしまった。軋み続ける巨大な構造物を前に立ち尽くしていると、好きにして良いからと油の小瓶を譲り受ける。試しに手近な歯底に垂らし、回してみると、かみあう結合部にまばゆい金の火花が走る。三回転のち輝きは鈍色に消える。
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【507】
目覚めた少年は夢が現実だったことを知った。不死と眠りの国で繰り広げた冒険は本当だった。身長は一晩で伸びた。成長期にしても、と家族は首を傾げたが、千度輪切りの試練を乗り越えた者にとって、それは必然の成長なのだ。今はもう見えない。少年は隙間を埋めた瘡蓋の痕をなぞる。
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【508】
遭難した敵国の将軍を、冬の雪山から拾い上げた姫君の末路かね、と首を傾げて、滅亡を前にした王城の地下牢から懺悔の声を聞いた者はいないし、係累の血に塗れた王の宝剣はとうとう見つからなかったよ、知らないよ、安心していいよ、と言って語り部は目を閉じた。
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【509】
吐き出す早さより、水分を吸って増殖膨脹する速度のほうが早いので、いつまでもガムを噛み続けている。
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【510】
遠く離れた二人の幼なじみが交わす手紙は、三十年もの間、配達人の手によって、そっと封を切られ、慎重に文面を模写され、中に少しのしあわせな嘘を挟まれ、また封をされて宛先に送られ続けた。
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【511】
中身を交換したあの日から、外は常時氷点下の白い世界になり、四畳半の隅に置いた冷凍庫の戸の中は、四季の移りゆく美しいジオラマになった。
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【512】
時間平均の人格を抽出できると知った男は、おそるおそる午前三時を分けて彼が寝てばかりなことを確認すると、いよいよ十二月二十四日を分けた。彼はそわそわと窓の外を気にしては頬を赤らめ陽気に笑うなどしており、男はつい先日の失恋もこれまでの幸福に均されていることを知った。
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【513】
凍てつくバイカル湖に沈んだ恋人に逢うために、湖面を穿孔して飛び込んだが、生きた体はプカプカ浮かび上がり、仕方なしに凍える手で岩を抱いてもう一度身を投げたが、たちまち体中に浮き代わりの氷が結晶し、今は水面と、恋人の真ん中で、宙ぶらりんに漂っている。
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【514】
占星術で百の未来を当てた予言者は、百一つ目に偉大な王の現出をうらなうと、間もなく息を引き取った。
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【515】
土砂降りの雨の日、そこだけ一点の黒雲のように沸き立つ鳥の群れの真下では、傘を持たない女の子が、恐縮しながら駅までの道を駆けている。
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【516】
水平線の彼方から顔を覗かせた巨大な化生が、身の丈にあった音叉をやおら取り出して、凄まじい強さで叩き始めたので、たちまち海面は輝き跳ね散る水玉で一杯になってしまった。
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【517】
何年もの間、暗くぬかるむ蒸し暑い洞窟の中を、はだかのままさまよい、ようやく見つけた一条の細い光の隙間に、十本の指を差し込んで、押し広げようと汗していると、不意に腹に激痛が走り、ひきつる予感で自らを見下ろすと、へその穴から外へ蠢き出ようとする誰かの指先が見えた。
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【518】
男が幸せな顔で寝ている間に、羽毛の布団が、端のほうから、手のひらを縫い合わせた生地に変わってゆく。
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【519】
男は地下迷宮から三年ぶりに戻るなり、町の鉄工所へ立ち寄ると、円盤を買い付け、足取りに隠しようのない興奮をにじませつつ、自宅へと帰った。皮袋の中身を机にぶちまける。火妖精の瞳、闇竜の胆石、髑髏水晶の歯。冒険の軌跡を星座の海図に見立て、戦利品を鉄板に埋め込んでゆく。
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【520】
ねえあなた湖で倒れていたけど何処から来たの。あら逃げてきた異邦人なのね。これからこの村で暮らしてゆける? ここの食べ物は口に合うかしら。コメ? ムギ? 知らないわ。でも畑から二度収穫できるところは同じみたいね。あらそっちは収穫後よ。一本の歯も残ってないでしょ?
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【521】
夜明けの第一曙光にアタッチメント式の刃を付けたかどで彼は処刑台に送られ、同じく彼が考案していた白熱灯に青酸を混ぜるやり方で刑は執行された。記録では三秒程の照射であったという。その後、人類史上の大量死を招いた技術は封印され、現存する証拠はこの記録文書だけだという。
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【522】
最後の日の千年前、天を覆うカモメの群れに太陽は遮られた。木々は枯れ落ち、生き物たちは凍りついていく世界で、最後の食べ物を探して氷雪の中をさまよった。カモメだけが例外だった。秘密の隠れ家に千年の餌をため、年老いて力尽き、墜落するまで、ほかから太陽を奪い続けたのだ。
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【523】
一度触れたら必ず感染する。予防法は外界と接触を絶つことのみ。数秒から数年で発症。死の間際に発症した例もある。症状が進むと異なる染色体を持つ個体と接触せねば死に至るという妄想にとらわれる。なお稀に潜伏期を経ても発症しない例が報告されており、さらなる調査が待たれる。
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【524】
海の夢を見た……潮騒の響く夜に星明かりの浜辺で仰臥している……最初に爪先が引波に沈む……腿の裏が大陸棚を掠める……髪の毛が逆巻く……海溝を墜落して……深海は耳抜きせよと誘うが、身体に力を入れたが最後、微睡みの青い水は遠ざかり、腕を這う蠅の感触しか分からなくなる。
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【525】
荒涼たる岩石砂漠の中央に奇跡のようなオアシスがあり、最後の人々はその一点に集い暮らしていた。邑は生活の余剰を貯めては頑健な旅人を遠く新天地へと送り出す。彼らが疲れた顔で帰ってきても、出立と見送りは続いた。雨のないこの地に水源がある意味を、誰もが考えていたからだ。
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【526】
知らないだろうけど、昔、規制が緩かった頃の観光ツアーで、隠れた名所とかいうのを見せてもらったことがあって、そこでは、派手な黄緑の変な土の壁からたくさんのヒトのなまの腕が突きだして並んでいて、皆で、これなんなんだろうね、さわってほしいのかな、なんて言ってたんだよ。
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【527】
或る国では、人は音楽無しで生きることができず、町の至る所で演奏者たちが生きる為の音楽を鳴らし、音の届かぬ地は白い霧に包まれた不帰の地と化していた。人々は、誕生の瞬間から音楽が無ければ死ぬ生き物など生まれてくるはずがないのだから、これは後天の呪いであると考え、解呪の法を探っていた。
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【528】
また或る国では、人は心臓の鼓動無しで生きることができず、身体の至る所で心音の証明を聴くことができた。心臓の止まった者は、物言わぬ骸となり、人々は、誕生の瞬間から心臓の拍動が無ければ死ぬ生き物など生まれてくるはずがないのだから、これは後天の呪いであると考え、解呪の法を探っていた。
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【529】
誰よりも物語の価値を知っていた男だが、物語たちは自分の価値を証されたくなかったので、男が近寄ると息を潜めた。
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【530】
予告せずさらいにきて、返すときは夢枕に立つ。
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【531】
マンホールの底で下水にカンテラをかざして暗い水面を眺めていると、平べったくなった犬、猫、鴉などが、浮遊物になって流れてきて、これも昔は平べったい蟹、蜘蛛、蛇などだったのだから、上流の再生工場は、ずいぶん高等なものまで直すことが出来るようになったと分かるのだ。
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【532】
昔、まだ水をねじることができた時代、獣を追う人々は、邑の女達が渾身の力でねじった川の水を狩りの供としてふところに忍ばせていたものだったが、あるとき、愚かな男が水はねじれないことを証明してしまい、後世の賢者が水筒をひらめくまで、つらく長い時代をすごす羽目になった。
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【533】
別れたはずの恋人が玄関に立っており、しかも、二人になっている。双子以上にそっくりで、ほとんど同じ人間に見える。試すように質問を投げても、パーソナルデータは完璧で、どちらも偽者の馬脚を現さない。いま思い返しても、違いに気づけたのは偶然だった。判別に運の要素を入れる気になったのだ。
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【534】
二人にじゃんけんをさせて、五連続のあいこを見せられたあと、今度は自分相手にじゃんけんをさせた。違いは明白で、右に立っていた元恋人は必ず負けた。左に立っていた元恋人は必ず勝った。会話をしていても気がつかない、わずかな振れ幅で、自分にとって都合の良い元恋人と悪い元恋人になっていた。
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【535】
泉のそばでうたた寝していると、水際から、小さな蜘蛛が這い出て、足の指に糸を掛けていく。蜘蛛はゆっくり水際と足を往復して糸を太らせていくようである。私は憎い女の顔を思い浮かべた。走ろうと決意する。家にいるあいつの首に間に合えば重畳。間に合わずともそれはそれで良い。
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【536】
光速道路から音速道路に車線変更すると静止していた景色が動き出した、すごい速さで後方にカッ飛んでいく。音速道路を下りて現在道路で車を転がすと耳元で凝固していた声が溶けだした、すごい速さで車を追い抜かしていく。車を止める、降りる、歩く、散歩の速さで、今がついてくる。
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【537】
思いつきにしては強制力がありすぎたが、ともかく、この部屋に越してきてから、そうすると決めた。寝室に八つある隅のうち、北東の天井側の隅だけは決して見ないと決めた。家具の配置もそちらを見ずに暮らせるように工夫した。今十年ぶりにその隅を見上げている。実にすごい卵だ。
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【538】
夜を迎えるたびに太っていた上弦の月は、きれいな満月を描いた翌日、ついにその輪郭をはみ出してしまった。割れた卵の黄身のように月光は外に溶けだしてゆく。やがて、ふんわりとした黄金の光の名残だけを残して、月は望遠鏡でも見えないくらいの、透明な空っぽになってしまった。
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【539】
縦五メートル横四メートル高さ三メートルの直方体が一つの部屋の単位として定められて以後、街はクレーンの手で整然と組み上げられる美しい立体パズルと化した。街の奥に嵌めこまれた古い部屋は外に出づらく利便性が悪い。弱き者たちはスラムのようなそこへ押し込められている。
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【540】
一人暮らしだから怠惰な生活になってしまうのよ、部屋にゴミが落ちていても食器を三日洗わなくても平気になってしまうのよ、人目がないから。母親の言葉の通りだ。部屋の隅に捨て置いた小さな未開封の段ボールの来歴をようやく思い出した。電話があった翌日に速達で届いたのだった。
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【541】
運動の苦手な女の子。来週の体育の発表会で、なわとびを百回連続で跳ばなきゃいけない。できないよ。悲しくなってうつむいて歩いていると、もっと悲しい声が聞こえてくる。あたりを見渡しても誰もいない。声は足下から。話しかけてきたのは、女の子の影だ。もうずっと下敷きなんだ、自由になりたいよ。最初、女の子は驚いたけど、すぐ影の身の上話に心をよせた。影のために毎日なわとびを頑張った。ついに足下から影が切れて空に飛びたった日、女の子もなわとびを百回連続で跳べるようになっていた。ありがとうと言う声に手を振って、女の子も透きとおっていく自分の姿にさよならした。
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【542】
都会の駅のホームの一番先頭に、一つだけ向きの違うベンチが置いてある。線路ぎりぎりに寄せられたベンチからは、こっちにまっすぐ向かってくる先頭車両がよく見える。週末はカメラを抱えた鉄道おたくの休憩所。月曜日は人身事故を待ってわくわくしているおじさんのための指定席。
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【543】
十二歳と九歳。たった二人きりで戦乱を逃げてきた。とても仲の良い姉妹だったのに、神さまに祝福されたこの国に居着いてしばらくして、口もきかなくなった。ねえなんでお姉ちゃんは? 妹は右上に尋ねる。この国の誰もに憑依してる守護精霊は、十歳を越えたら二度と手に入らない。
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【544】
無限に長い円筒星の外側に住む人類が、外宇宙に飛び立つためのロケットを心血注いで作り上げていたちょうどその頃、円筒の内側に住むこずるい人類は、外側から盗んだ電気で自分たちの空を煌々と照らし、天芯と呼ばれる無重力が支配する一本線の空域で浮遊して遊んでいるのだった。
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【545】
魔窟から盗ってきた財宝の中で一番の気に入り、今日も愛おしげに撫でる、世界で一番短い刃のナイフ。ほとんど柄のみでかたどられた形は芯のない燭台にも似ている。ひたりと身体に添えて初めて薄皮一枚を切り取ることができる。きっとこれは女の服や皮膚を剥ぐために使われていた。
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【546】
いつからか備わっていた異能。サイコロを投げると必ず三の目が出る。私はそれを手品と称しては仲間内で披露していたものだった。ところで、私の恋人は必ず背中から倒れる。私がスケート場で足を滑らせて思わず袖を引いたときも、プールサイドでじゃれかかって突き落としたときも。
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【547】
太陽と海を混ぜる神話は線香花火程度に存在を格下げするところからはじまる。日没とは水平線に火の玉が溶けて白煙をあげる現象を指す。暗い水面はせりあがり町は夜の底に沈む。海を呑んだいきものはあぶくの中に太陽をひそませる。海面に水泡が集積したとき潮が引き朝が訪れる。
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【548】
ファインダーを覗く見知らぬ誰かの後姿を起点に広がる薄暗い風景。いつからか、写真を目にするとその少し後ろからの景色が瞼に浮かんできた。登場人物はばらばら。千の写真に千の後ろ頭が現れる。超常の目を借りているのだと思い至った日、鏡に映した我が身を現像した。映っていた。
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【549】
その世界では朝の訪れを「ひらく」夜のおとないを「とじる」と呼び習わし、一日の長さはほとんどの場合短く、だが稀に千年もすることがあり、ほとんどの場合人は死なず、だが稀に数万の命が散るときがあり、結末は必ず定められているか、空白の断崖に閉ざされているかのどちらかだ。
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【550】
その代わり、この本なしでは二度と思い出せなくなるけれど、どうする? 悪魔の最後通告に、かまわないわと答えた女は、晴れてその本を手に入れた。アルバムに記憶を注ぎ込めば、決して風化することはないと微笑む。大切な思い出は大切なまましまわれ、二度と顧みられることはない。
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【551】
右折左折を繰り返す光の蛇腹道をたどる旅人は、進むべき道標を、光の射す方を前と定めて歩き続けているのだが、もしかしてという不安もあったので、双子の弟に影が差す方の道をなぞらせていたが、とうとう二人は最初の町に戻ってきてしまい、しかも互いの姿が見えなくなっていた。
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【552】
写真を縦に二ツ切りにして、五ミリの透き間を空けて白紙に貼りつける。細い空白が生じるので想像力を盛ったアクリル絵の具で隙間を埋める。次に横に二ツ切りにして、五ミリの透き間を空けて……、繰り返すうちに補完部分は写真本来よりも広くなる。それが想像力の内臓の色である。
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【553】
キリンにも鉄塔にも似ている三本足の首長竜が夕暮れの海をゆく。水深は徐々に深くなっているはずなのに、海面から見える立ち姿はいつまでも同じで、無限の浅瀬がどこまでも続いているように見える。海に潜ったダイバーは、長くぶよぶよした三本の足が伸び縮みする様子を目撃する。
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【554】
真闇の夜の森の奥に一本の古びた街灯が立っている、焼き切れそうなフィラメントが六十ヘルツよりも強いまたたきを繰り返している、森にすむものたちは影の中で獣の目を細めている、絡み合う草木の白く浮かびあがった内臓を見ている、無数の目が小さな狭い隙間をかすめ盗っている。
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【555】
山頂に光を見つけた少年は、あの光をなぜ誰も取りにゆかないのと聞く。皆じつに詳しい、「山道は途中で崖になっている」「人喰い熊が出る」「皆があれを目指せば争奪のいくさが起こってしまう」「実はものすごく遠い」「直視すると目がくらむ」、光について語る声がまた一つ増える。
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【556】
掃除をしようと思い立ったきっかけも、これが何年かぶりの総入れ替えだったかも判然としなかったが、彼は黙々と冷蔵庫の中のものを捨て続け、やがて三本目の牛乳を手にしたとき、奇妙な重量を指に覚えて、振るとぶつかる音がして、逆さまにすると飲み口から太い腕がはみ出してくる。
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【557】
一辺千ミリメートルの立方体を埋める精緻なジオラマの、上半分の地上は密林、都市、海からなり、また地下はメトロ、坑道、マグマからなり、スイッチを入れると、中で暮らす小さな人間たちが、一度きりの二十四時間を費やし千の物語を紡ぎだすというのだから、まばたきする暇がない。
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【558】
正面には血走った眼球、背後には秘密の逢い引き白い手足、上下左右をアーチ構造で抑えつけられた二次元の世界に暮らしている、わたしは覗き穴。
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【559】
小さな電子伝言箱。旧式のそれは、記憶できるメッセージは一つだけ。もっと小さな電子伝言箱。最新のそれは記録者の脳波をスキャンして、本人の完全なシミュレータになる。二つ並べて、「おはよう愛しのダーリン、おはよう」「もう夜だよ」「愛しのダーリン」「もう聞きあきたよ」。
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【560】
どんな誤解も生じない世界! 人々は嘘をつかず、いさかいを恐れない! 誰もかれもが胸の裡を開き心を通わせる! そして、うつむき、焦げた骨を拾い、血を吸った油泥を渡り、背を丸め、安住の地を探して、先住の民を放逐し、柵を立て、打ち壊される、さすらいの日々は終わらない。
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【561】
朝露に濡れ葉影に潜む、外殻のふちが全て鋭利な刃になっている虫を見つけた。まばゆい金属の色に惹かれて指をのばす。そっと背中をつまむ。思わず怯んでしまうほどの鋭い痛みが皮膚を破る。でも、もう手放せない。振りほどく手の震えを刃が噛んで、虫の体が手の肉に埋まってゆく。
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【562】
百人乗りの宇宙船に百一人いると噂が流れたのが問題の発端で、乗船許可書は百枚しか発行されていないし、抜き打ちで許可証の所持検査があったから、不所持者は所持者から奪い取って日々をしのいでいたと聞く。ところで私の許可証だが、配布時に薄く重なっていたようで、二枚ある。
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【563】
上履きの柔らかいゴムの底に画鋲をびっしりさしこんで、なにやら自分が強くなったような気がしてきた男の子は、はじめて肩をそびやかして教室に入った。
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【564】
地元の者は本堂にまつられるその巨大な金属塊のことを画鋲玉と呼ぶ。直径十メートルはある歪な球の表面には参詣者の手で隙間なく画鋲がさしこまれ、爬虫類の鱗のような様相である。数十年に一度表皮が剥がれ落ち、秘された中身が垣間見える。信者はそれを待ち望んでいるとのこと。
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【565】
その前にさらに貧しい時期があり、夫婦は赤子を路上に捨てている。妻が夫のために髪を売り金の時計鎖を買い、夫が妻のため懐中時計を質に入れ髪飾りを買ったのはその後の話。鬘屋は美しい金の鬘をつくり、質屋は年代物の懐中時計を闇市に流した。孤児は四つとも取り返さねばならぬ。
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【566】
七十三進数の世界では表音文字も全て数字で表現できるから、短い文章(つまり数字の羅列だ)などはそのまま読まずに、総和やべき乗をとった演算結果を暗号めかして伝えていたという。そんな世界だから、当然、愛していると死んでくれのどちらかにこじつける数式がもてはやされる。
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【567】
エメロン星の運動会は、有機物の海でのかけっこがハイライト。大気と海が化学反応してできた薄い皮膜の上を、子どもたちが駆けてゆく。欲張ると六つ足が膜を突き破って海にドボン! 溶けちゃう! 慎重な足運びができるのは、背後のオカアサンたちを知らんぷりできる子だけの特権。
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【568】
電車の吊革だと思って握っていたものが、馬のひづめだったのである。すわこれは夢に違いない。手を離すとじたじたと足掻きだし、まるで天井に残りの胴体が埋まっているようなのだ。……そこで目が覚めた。あくびの涙を拭こうと頬に手をふれて驚いた。頬から馬の背が突き出している。
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【569】
握っているものをかってになまものにすりかえる妖怪とかがいたら、怖すぎると思わないか。この携帯電話がいきなりでかいカブトムシとかになったら、たいそう困るだろう。そんな心配をせねばならぬ精神に生まれて、ぼくは、ほんとうに不幸だ。いや、やっぱり、一人で遊べて、幸せだ。
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【570】
くたびれた背広を脱ぎ生ごみの散らばる床に倒れ、泥の眠りに沈む前に、ペンを片手に握りしめる。夢路に引き込まれるのではなく自らの足で探索する。暗い洞窟の中に潜む宝玉と悪鬼の光る眼を暴きながら進む。渇いた唇は謝罪を繰り返す。離れてしまってすまない。またすぐに戻るから。
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【571】
あかるい、星のうかんだ瞳。こちらを見つめて微笑む。赤いくちびる。白い歯。濡れた舌。髪をかきあげる。ととのった指先。かわいい耳たぶ。……ほんのすぐ目の前にいるその人に、近づいて口づける。苦くて酸っぱいつるつるした味。目がチカチカして離れる。ヤニのついたブラウン管。
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【572】
人々の両手に突然浮かびあがった不思議な模様は、一人として同じ模様でなく、しかし一人の両手に宿る模様は左右全くの同形で、自然の法則に反する左右非対称は何者かの作為を連想させる……そう新聞が記した二三日後、人々の手はいずこかへ飛び去り神経衰弱のカードになったという。
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【573】
この笛をひとたび吹けば飢えた野犬が馳せ参じあなたの身上を食い尽くしてくれるであろう、修行を極めこの世から寂滅したいときに吹くと宜しい、と彼に告げて修験者は去ったが、敬虔な信徒であった彼はその日を境に屈強な犬たちを率いた無敵の盗賊に成りかわった。
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【574】
ここより先は、と言って先生は地面に線を引く。線の向こう側には「これからの大地」が横たわり「これからの空」が広がり「これからの人たち」が暮らしているのだ。なるほど眼を眇めると、豊かな黒土と風に舞う雁の群れと裸足で駆ける子どもたちの姿が見える、けど、じゃあ僕たちは?
*
【575】
かつて爆星刑に処されたドーナツ型惑星の出身だという人が教えてくれた、環の内側で暮らしていた彼が見ていた風景のことが忘れられない。太陽が地平に沈んだころ、夜空に輝く光の帯が現れる。恋人や友人たちが、ドーナツの対岸越しに明滅するランプで合図を交わしあっていたという。
*
【576】
戦火を逃れた人々がたどり着いたのは赤子を売らねば年も越せぬ乾いた土地だ。少年は故郷を出て再び戦のさなかに舞い戻る。戦功をあげ築いた名誉と富はみな故郷の為に。だが隣人の娘は飢えて死んだ。「私は貴方を純粋に心配したい」。冷たい信仰心だけがあばら家の壁に残されている。
*
【577】
黒い正方形の板に並ぶ百かける百マスの浅いくぼみ。選ばれた人々だけが手にできるその板は、秘密の魔法の道具だ。あるものをくぼみに埋めて、一万そろえば願いが叶う。だから僕の母は高名な医者に、父は大俳優になったらしい。犬歯を抜く有用性の論文。八重歯を隠す流行のスタイル。
*
【578】
あたしと仕事どっちが大事なの。そんなもの比べられないだろ。あたしのあなたに会いたいって気持ちとあなたが職場の信用を失いたくない気持ちのどっちが大事なの。それも比べられないだろ。あたしと会いたくない気持ちと仕事に行きたくない気持ちのどっちが大事なの。仕事だよ。
*
【579】
独身パーティーという触れ込みでつれこまれた場所は倒壊寸前の廃ビルであった。四周を見渡せば、仮初めの仲間意識に騙された表情の若者ばかり。友情を説いていた発起人の女だけが黒い双眸を爛々と輝かせ気勢をあげている、「孤独な魂の贄は集まりました、主様、私めに愛をお導きあれ!」
*
【580】
人ならぬ容貌のその男がこの土地に居着いたのは、町中のバス停を降りて最も歓迎の気に満ちた土地を確かめた結果だという、ならばとこの町を選んだ理由を問うと、同じくあらゆる駅に降車したという、この国にくる前はあらゆる国境を跨ぎ、この星にくる前はあらゆる星を渡ったという。
*
【581】
その肉食獣は雪の国にしか生息していないのではなく、あまりに静かで、また目に映らなさすぎるため、かの土地でしか忍び寄る足跡の列に気付けないのだ。
*
【582】
老衰を迎えつつある犬の前に、整理券を手にした飼い主の写し姿が列をなしている。皆思い思いの一言をかけて犬の前から離れてゆく。知らず彼の死を看取ったのは二百二十五番目であり、最初に離れた命に気付いたのは五百九十三番目であり、認めたのは一万飛んで七番目であった。
*
【583】
今まで自分にくちづけていったのは、なにも知らぬ子どもか、なにもかもを知った大人かのどちらかしかいなかった、と毒薬は述懐した。
*
【584】
獣の王は炎を不浄なものとして忌避しており、それは太古の時代に先祖が炎を手にした二ツ足に追い回されていたためだというが、実のところ理由などどうでもよく、罪人は目の当たりにした異様な光景を前に立ち尽くすだけだった。みな一心に浴槽を摩擦していた。身体が焦げるまで。
*
【585】
北の大地に聳える山脈の最高峰を目指す男の処遇は、登頂の成否はもとより、遠く離れた異国でひらいた戦線の結果に握られていた。お国が大変な時に登山にかまけた不心得者、もしくは、国威発揚をなしとげた英雄は、稜線によじのぼり腰かけたあと、ただ無線に耳を傾けている。
*
【586】
パンドラが箱を開けたときには既に世は知り尽くされており、概念は解析されて無味無臭の理屈に成り果てていたので、蓋の隙間から前髪がもちあがるくらいの風が起きただけで、それもすぐに宇宙空間へと霧散していった。
*
【587】
悲劇の幕が切れたあと、腹部を赤く染めていた主人公は、ヤレヤレとため息をつくとひとつ伸びをして舞台袖に引っ込んでいったが、こちらは観客席に腰がはりついて立ちあがることができなかった。やがて笑い声が遠ざかり、灯りが落とされ、舞台の柱が朽ち、木枯らしが吹きこんでくる。
*
【588】
氷点下の、大気中の水蒸気が余さず結晶して地上に降った夜明け前に港へ向かうと、満天の星に夢中になるうち海面に鎖された人魚の姉妹を捕まえることができるが、肉が薬品を吸う前に凍てついた波頭が溶けはじめると、たちまち海中に引きずりこまれ、飽きるまで妹のペットにされる。
*
【589】
さらに踏みつけることができます、と書かれた立看板のよこに、深く掘られた穴があり、底のほうに髪の毛のようなものが見える。
*
【590】
授業で光の反射を習った生徒たちは、鏡を手に校舎中に散った。鏡を反射させあって、三階の教室から二階の音楽室を覗いたりする。光を繋いでもっと遠くへ。理科室の子が聞く、次はどこ? 言われて夢中で校舎の外へ。鏡の世界は移り変わる。その子は三年後にひょっこり帰ってきた。
*
【591】
ひどく慌てた様子で診療所に駆けこんできた患者が、最近夜になるとどうしても眠くなってしまいこれは悪い病気に罹ってしまったのではなどと言うので、害のないビタミン剤を処方して追い返した後、少し考えて国立新人類開発研究所に電話を入れた。
*
【592】
目くじらが涙の海を悠々と立ち歩いていたその頃、水面下では、走り疲れた動揺が、上方を睨みつけてはここから逃げる方策を練っていた。あのいきものを捕まえて、くじら部分を缶詰肉にして環境団体に売りさばく。目部分は自分の代わりに意味を背負わせて泳がせる。これでどうだ。
*
【593】
四季折々悲喜こもごも雑多の障害と苦難と時間とを乗り越えてきた慌ただしい二人の最終回は、やはり疾走感、どころか本当に彼らは全力で疾駆していたので、カメラもレフ板もエキストラも脚本家も脇役も皆次々に引き離され、物語の結末は、とうとう息の切れた二人だけのものになった。
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【594】
地下遺跡に迷って直ぐの頃は、草花まで石で彫刻される町並の珍しさと、そこらで佇む凶相異形の石像に目がいったが、やがて、どの家も水場がなく、食器類も窓もなく、火を焚いた形跡も手段もないと気づいた。こんな地下にいても古代人には必要がなかった。ならば異形の石像、あれは。
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【595】
あのピエロが玉から落ちたときお前の母を処刑すると王に宣告された娘は、義侠心で玉乗りを続けるピエロに食事を運び、汚物を処理し、一方で決して休息を許さず眠気と震える足には容赦なく鞭を入れた。王宮の片隅で、それは王が死ぬまで続いたが、二人と母親のその後は誰も知らない。
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【596】
かつて古代王国では病床の王が不死鳥を求めた。武勇の兄王子は巣を求め魔国に侵略し、智謀の弟王子は只鳥を不死にする禁呪に手を出した。無垢な王女は一羽の鳥を飼い、寿命が迫ると雛鳥と縫い合わせ縄のように生と胴を縒り続けた。最初に破滅を顕現させた者の名は伝承されていない。
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【597】
最至近距離で見つめあうと分かるのだが、あの男は、瞳のなかに、金平糖のようなクルクル回るふしぎな星を飼っているのだ……と私は思っていたのだが、男が言うには、光る星の飼い主は私のほうであり、かれの眼はただこちらの眼を映しているだけらしい。
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【598】
彼女が眠りに落ちたとき世界は消滅し、目を覚ましたとき世界は生まれなおすのだが、なにせ世界というものは広く大きく、下準備にも後片付けにもそれぞれ百年かかってしまう、つまり……この話を聞いてなにか分かるような気がしたならば、これは詐欺師の手口なので、気をつけなさい。
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【599】
何が起きても石の心で堪え忍んでいたが、大人になる前に、石切場に連れてゆかれて、皆のための礎にされる。
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【600】
旅の人がくれた赤いりんご、大切にしていたのにしなびてしまったの、悲しかったけどお墓を作って埋めたら、次の春にまた生まれなおしてきてくれた、だからそうなんだって思うじゃない、と訴える女の裏庭は、たくさんの墓標と、からみつく果樹と、それ以外のものでいっぱい。
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