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機械
421〜  441〜  461〜  481〜  *last update 08/24: 【437】〜

【401】
 前をふわふわ歩くあの人を、いつでも支えてあげたくて、一歩後ろを歩いていたら、あっ、あの人穴に落ちちゃった。後ろを頼りなくついてくるあの娘を、いつでも導いてあげたくて、一歩先を歩いていたら、あっ、いつの間にか姿が見えない。ああ、並んで手をつないで歩けたらいいのに。

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【402】
 あの時君が感じた恥ずかしさは、振り返ると、いつかきっと宝物になっているはずさ。こころがパチパチはじけて、ほっぺたから産毛が生えたみたいで、いてもたってもいられない、なんて体験は、絶対に、宝物に違いないのさ。

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【403】
 高校の同窓会の二次会が予想外に盛り上がっちゃった。ギリギリ終電に乗れたから良かったけど、帰るの遅くなるって彼にメールするの忘れてた! 部屋の電気が消えてる。先に寝ちゃったのかな? ガチャ。「帰ったのか」あれっ、そっちもお出かけしてたの?「おれの気も知らないで」え?

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【404】
 その草は肉色の花をつけた。周りに同種はなく、ゆえに太陽に焦がれ、無断で種を作った。結実した実は背徳に香り立ち、四つ足の運び手すら食指が動かない。落日。草は日没に首を傾け、実を落とし、枯れた。曙光。発芽する。地を這う旅は、いつか太陽か同類に出会う日まで続いてゆく。

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【405】
 それはどこから見ても人間に見える。裸に剥いて、それをまな板の上に横たえる。包丁を構え、頭の先から輪切りにしてゆく。血が噴き出して流れ落ちてゆく。爪先が転がる。それは人間にとてもよく似ている。悲鳴をあげたかもしれない。まな板を洗い流す。すぐに次のそれが載せられる。

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【406】
 こころの在処をさぐるため、体を少しずつ交換した。小指、十二指腸、大腿骨、血液、心臓、海馬、髪の毛。もろもろの交換を、自分ではない感覚を得るまで続けた。とうとう、わたしという存在は、四番目と五番目の肋骨の間に存在することが分かった。足元に散らばる臓器が冷えている。

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【407】
 「君が言ったことは全て本当になります」「嘘だあ」「今嘘になりました」「本当?」「本当になりました」「嘘でしょう?」「嘘になりました」「本当なの?」「本当になりました」「実は三人いる」「三人います」「やっぱり二人だった」「二人になりました」「人殺し!」「殺します」

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【408】
 暖かい部屋。寝台に横たわる人のめじりから滑り落ちるものは、涙ではなく、まして汗でもなく、では何かというと、破れた夢ではなく、まして失われた愛などであるはずもなく、では何かというと、最期の命ではなく、よしんばかつての希望でもなく、では何かというと、融けた蝋なのだ。

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【409】
 男は娘に認識されたい。さて五感のどこから? 娘のまぶたは縫いつけられて久しく、可愛い鼻は鉛で埋められ、鼓膜は誰かに持ち去られ、ひび割れた肌はかさぶたに覆われ、後ろめたい心持ちで覗いた口腔にさえ舌はなく。残るは第六感の奇跡だけ。娘の指を握り、男はナイフを滑らせる。

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【410】
 大人は少なかったが子どもはもっと少なかった。そういうわけで二人は一緒に遊んでいた。少年は砂の山を建て山頂に深い窪みを穿ち、少女は地面に縦穴を掘った。自分たちの暮らすすりばちの国のかたちはどっち? まだあの壁を越えた人はなく、二人はいつか見にゆこうと指切りをする。

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【411】
 夢枕に立つ神さまが、明日降るそれがあなたにとって最後の雨となるでしょう、とお告げをしたので、彼は屋上から身を投げ、みずからを犠牲としたが、誰もそのことに気づかない。

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【412】
 あれはこっちのゴミ袋に入れておいて、さて、卵黄とすりおろしたライムをよく混ぜて、湯煎にかけて蜂蜜とバターを加えて、とろみがついてきたらコーンスターチを少し足して、湯煎から下ろして、固まってきたら器に分けて、冷蔵庫で冷やして、ほらキッチンは甘い香りでいっぱいね!

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【413】
 大人の大きさほどある黒い箱の中から、おびえた娘の声とばたつく物音が聞こえてくる。……おねがいだからやめて……やさしい人はそんなことしない……。想像の中で娘は蹂躙される。あなたのやさしさは測られる。

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【414】
 司書の机の下のふたを開けて階段を下りる。百段の後に細く暗い道が横たわり、なお奥に進むと長大な棚の列が続く。棚に陳列されるガラス瓶の中であらゆる時代の炎の標本がゆらめく。原初の火花、初めて人と邑を焼いた炎、嘘のない時代の炎。手の中のプロメテウスの火がうごめいた。

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【415】
 嘘を許さない大気は言葉を焼き尽くした。地上は瞬く間に真黒に染まり、人々は燃える炭の上を歩いた。灰の中を行き交う声はひどく短い。やあ。どうも。……。……。ぱくぱく口が動いて、透明な声とあたらしい燃えかすが散らばる。世界は昨日よりも少しずつ空を暗くしてゆく。

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【416】
 断崖の上の国と下の国を結ぶのは、長い縄と音だけの滑車だ。下の国は上の国のことを知らないが、謎めいた決まりごとだけは知っていた。崖の上でラッパが鳴った翌朝は滑車が回り、贈り物が届けられる。滑車の音を頼りに、勇んで縄を掴み崖上に消えた仲間もいたが、不思議と誰一人戻らない。

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【417】
 かつての大雨の日に水底の街は生まれた。街は沈みゆく人々の願いを叶え、彼らの胸に穴を穿ち、おかげで水は全て穴に吸い込まれ、誰も溺れずにすんだが、水を吸い込む一方、胸の穴はもの悲しい故郷の歌をも吐き出した。人々は耳をふさぐ代わりに互いの胸を寄せ、青い光の中に溺れた。

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【418】
 彼らは、遠い星に優れた機械の種を撒き、生まれた機械が、太陽光で発電し、荒野を渡り、原生林にたどり着き、森を開き、獣を払い、重力偏差で鉱脈を探り、水を得て穴を掘り、木を焼き鉄を打ち、まるで愚図でのろまで細やかにできていない子どもを百年かけて作る様子を、眺めている。

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【419】
 生きてる間はあなたの指とわたしの指をからませたい。死んでからはあなたの肋骨とわたしの肋骨をかみあわせたい。

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【420】
 天体望遠鏡に人工知能を搭載し、学術価値の高い領域を重点観測させれば天文学の発展がいや増すのでは、という提案を受け、その望遠鏡は生まれた。賢い彼は科学者の補佐を必要とせず、広い砂漠に整備士と二人きり。彼の足場が徐々に背伸びをしていることに気づいたのも、整備士一人。

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【421】
 「あっ、だめよ、デスマくん、キャストはしないでって言ったじゃない」「うるせえ、コンパイラ子! 翻訳機の分際で口ごたえするんじゃねえ!」「酷い! ダウンキャストまで勝手に」「黙ってろ! ぐへへ、今すぐ貫通させてやるからなあ」「あなた、きっと後で後悔するわ……」

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【422】
 「ねえねえ」昨日見た夢や、小径を横切る猫のしっぽのもようや、星形のわた雲や、シャッターの閉まった店舗から漂ういい匂いを、残らず隣の誰かに教えてきた少年は、五十年が経ち、誰もいなくなってしまった今も、話したいことを忘れないように、首から下げた手帳に書き付けている。

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【423】
 雨だと思ったら、逆だった、水の層の中を、気泡が叩きつけるような勢いで遡行していたのだった、そう思ったのは、わたしだと思ったら、逆だった、四次元空間に、京垓那由他無量大数に広がる肉と血と骨のかたまりの中に、人間の逆さまの輪郭が残されていたのだった。

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【424】
 「おい、新人、よそ見をするな」「先輩先輩、あの人は何です?」「言ったそばからこれだ、奴は生前の精算をしているのだ」「ずぶぬれですね」「奴が受け取るべきものを傘に肩代わりさせた報い、すべての滴だ、そうそう降り止まぬ」「でも楽しそう」「そも雨とはそういうものなのだ」

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【425】
 新装開店本日朝ジューシーオーブン丸焼け地獄

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【426】
 低き方へと流れてゆく雨水を追ううちに、若者は地の果てと呼ばれる断崖にたどり着いていた。若者が下をのぞき込むと、ふっつりと切れた崖の先端から、底の知れぬ虚空へ落ちかかる瀑布と、かすみ消えゆく細い滝からもの凄い形相で駆け上っては流され落ちてゆく化け物の姿が見えた。

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【427】
 ついてきても良いが、その代わり、おまえに何を与えるつもりもない、と宣言して、孤高の詩人は、療養のため逗留していた緑豊かな辺境の村を後にした。詩人が滞在する間にすっかり彼に陶酔してしまった若者は、あなたの忠告はもちろん受け取らない、と返して、詩人を追いかけた。

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【428】
 巨大低気圧が街の上を通り過ぎると、幸福の象徴は風に吸い上げられて、どこか遠くに運ばれる。ハンターは気象図を広げ、低気圧が消えた海域を探り、潜水し、サルベイジした何かをブルーシートの上で売る。たくさんの人々が訪れる。ハンターは欠けたものを求める人々の顔を見つめる。

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【429】
 窓の外には巨大な眼が張りついていて、まばたきしてサッシを揺らしたり、乾燥した日に充血したり、カーテンを閉じている隙に玄関扉に移動して住人を驚かせたりする。

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【430】
 月が綺麗で寂しい夜は、水盆を抱えて外に出て、みなもに月を写してまず二つ、鏡に映してさて四つ、瞳に映していよいよ十二、光る眼の持ち主たちよ、出ておいで、手をつないだら踊るんだ。

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【431】
 三月の間、休みもせずに、地に油を撒いていた、壷を手に、広大な敷地をねり歩き、万事整え、あとは大地の中心に火矢を放つのみとなり、炎の円環はきっと素晴らしい早さで広がるだろうと、胸を高鳴らせ、弓を引き、落雷に歓喜の瞬間を奪い取られるまでは、彼は世界で一番幸せだった。

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【432】
 あなたの、その、泥水みたいな声で、私の耳たぶを、すすってほしい。

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【433】
 どんがしゃん! どんがしゃん! ロバに荷車を牽かせて、魔法使いの女の子が荷台の上でがらくたを打ち合わせます。どんがしゃん! あぜ道を進む一人と一匹の周りに、やがて人ならざる影らが集まってきます。どんがしゃん! どんがしゃん! 不思議な一行は一路街を目指します。

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【434】
 かごに小鳥を閉じこめて、肋骨の内側で羽ばたく心臓を夢想して、水晶玉に未来を映して、瞳の中に夜空の星で航路を引いて、規則正しく動く歯車に赤ワインを通わせて、頭を外に開いて、人間とは、人間とは、と燃えさかるバイオリンに問いかけている。

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【435】
 旅を終えたものだけが地に横たわる権利を得る、という妄想にとりつかれた男が、旅の終わりを探して、早歩きで歩き回り、かかとを、すねを、膝を、股を、胴をすり減らし、指を、上腕を、肩をすり減らし、首を、顎を、額をすり減らし、独特の足跡だけが、いまなおどこかに続いている。

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【436】
 虫の薄羽を集め、裂きほぐし、よりあわせ、継ぎ目なく織り、一枚の生地を仕立て上げ、より大きな虫の羽を作り、子供のいたずらで羽を失くした瀕死の虫に植え付けて、野に放つ。

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【437】
 二種族は互いに干渉せず自らの星に閉じこもり暮らしてきた。苔生す樹人の星では機人は錆つき、強酸性の雨が降る機人の星では樹人は枯れ果てる。樹人は蔦の橋を見て、機人は鋼の橋を見て、二重惑星の間に橋を架けた自分の先祖を思う。橋の中央で蔦と鋼が絡まっていることは知らない。

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【438】
 空から恋石が落ちて来た。などとタワケた事をそ奴が云うので、頭や胴をさんざんに殴る蹴るなどして、訊いた。「で、何」「ツマラぬことを申してあいすまぬ、つまり、尊公のこと愛してます」

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【439】
 創造されたときの贈り物として、皮膚の一枚内側に、内向きの牙を隙間なく生やしてもらったので、いざというときは、自分を食いつぶして虚空に消えることができる。

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【440】
 耳の奥で鼓動がドコドコいうので、探してるのはこれかいと湯気のあがる白飯を出すが、まだドコドコいうので、探してるのはこれかいとしわだらけのお札をかざすが、まだドコドコいうので、探してるのはこれかいと言って自分自身を抱きしめて、まだドコドコいうので、鼓動を止めた。

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【441】
 重責のマントを引き摺り千夜を駆け抜けた夜明け、王さまの王冠の先っちょには、たくさんのお星さまがくっついていた。

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【442】
 長い空白の末に、だから、と言うが、黙っていた間おまえが何を訴えていたというのだ。

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【443】
 若い夫婦が迷いに迷って選んだ鋳型に収められた赤ん坊は、知能の成長が止まるまで殻の中で工作を受けて育つ。十七年待った我が子の姿は設計通りの完璧な造形で、ただ十七年分時代遅れの形状で、星暦いくつ生まれとすぐ分かる。この星では外見で年齢を測ることができる、と得意がる。

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【444】
 こんにちは、初めまして、私の名前は「あなたの渾身の叫びを容易い言葉に変えるもの」です、あなたは? 初めまして、私の名前も「あなたの渾身の叫びを容易い言葉に変えるもの」です、それから、またの名を「希望」といいます、あなたは? 私は、またの名を「絶望」といいます。

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【445】
 金がうなる、犬が飛ぶ、鳥は愛を知る、ぼくは死んでいる、きみにはハイエナどもがたかっている。

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【446】
 君を幸せにする為に僕は全てを犠牲にしたって構わない。もちろん君も例外じゃない。君の為に死ね。

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【447】
 夜更けの宮殿に笛の(尺八の)音が響く。それは悪魔が(盗人が)忍び込んだ印だが、無邪気な(無知な)姫君は音にあわせて楽しそうに(仮面の下で嘲笑し)踊る。招かれざる客人は(哀れなまれびとは)歓迎されたと思いこみ、姫君の影にすり寄って、声をかける(悪魔の影を踏む)。

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【448】
 超音波を飛ばして君の形を覚えるよ、でっぱりもくぼみも全部分かるよ、かたさもやわらかさも全部分かるよ、だから実は君にフられたって平気だよ、手をふれる必要はなくて、君のことはもう全部知ってるからね、もちろん泣いてなんかいない。

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【449】
 サイレンが鳴った。地下の荷物をかかえて家を飛び出した。妹が叫んで、俺は振り返る、間に合わなければ死ぬというのにあいつはこけやがった。それだけ。それだけで一分無駄にした。もう壕まで間に合わない。雑木林に駆け込んで妹の頭を抱えて震える。妹が泣いている。俺は陶酔する。

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【450】
 悪魔はほうぼうを飛び回り、自分の仲間を探していたが、どこに行っても仲間はおらず、やがて放浪のすえ、悪魔というものが世界のどこにも存在しないことを悟り、彼はしぶしぶ自分がただの人間の男であることを認めた。

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【451】
 心を盾に戦う者は、やがて無垢な身体のみを残した。身体を盾に戦う者は、やがて無垢な心のみを残した。言葉を盾に戦う者は、何も失わず、あらゆるものを手に入れた。

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【452】
 悪魔と契約をすると、その者の一番大切なものと引き替えに願いを叶えてくれるという。村の老婆が伝えるおとぎ話に少女は目を輝かせたが、悪魔の輪の中で幸不幸が閉じられていることには気づかない。

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【453】
 強酸の雨が降るようになった日から誰もが傘を持ち歩くようになったが、三日も経つと、皆自分が機械の体であることを思い出した。

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【454】
 疲れた夜に、左足の小指と薬指がくっついて、とれない。

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【455】
 寂しかったから、という密かな理由で彼は科学者になり、光よりも早い新たな通信手段を見つけ、第六感を信号化する機器を開発したが、彼を褒めそやす誰もが、まさか彼ほどの天才が知らないはずがないと合点していたので、とうとう彼は手のつなぎかたを知らないままだった。

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【456】
 毛深い足が幾つも束ねられ、民家の軒先から吊されている。腿の半ばで切り削がれた静かな足だ。風に揺られるばかりのそれらだが、家屋の前を人が通り過ぎると、その歩調にあわせて、ぞろぞろ歩くふりをはじめる。ところで民家は、足が進むのとは反対方向へなめらかに移動してゆく。

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【457】
 いつの頃からか現実に薄く重なる黒土の大地が見えていた。深い眠りに落ちた夜だけもう一つの世界は実体を顕した。酷く罵られた夜は花の苗を植え、明日を塗りつぶす闇の中で水をまく。やがて花が咲き誇り、恋の嵐で何もかもが吹き飛び、花びらの舞う大地を手を取り合って駆けてゆく。

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【458】
 月よりわずかに小さいだけの、巨大な機械仕掛けの水時計構造体は、静止軌道を周回しながら、観光目的で訪れた人々を、およそ人間が堪えられない、圧倒的な捗りの遅さで釘付けにし、発狂させている。

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【459】
 泥で人間をこねる使命をもうずっと続けているが、寝て起きると、かならず体の一部にひびが入っている。修繕しても同じ事の繰り返しで、泥人間を横たえた四辺には、大きな、あるいは小さな、四ツ指、あるいはひづめの跡が残されている。生まれる前からこんなにも多くに憎まれている。

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【460】
 閻魔は一度だけ亡者にあまねく慈悲を与える。とはいえそれは百年休まずに墓石を磨き続けた者を現世に転生させる定款なので、亡者の男は定めの通りに勤めていたが、あるとき、隻眼の子鬼から、百年後の姿を映す鏡があるぞと囁かれ、目をやった。一瞬の明るい風景。あとは永劫の闇。

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【461】
 物語を殺すためにかれはマシンガンを携行する、逆らう妖精や王子様やファンタジスタに秒速二十発の連射をおみまいする。弾丸は色の濃いすね毛。

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【462】
 朝日が昇ると、固く冷たかった体が、だんだん温かくなり、頬に薔薇色の赤みがさして、まつげを震わせて目覚める。起きあがり、陽光の下で子鹿と踊り戯れる。日没とともに、岩の陰に横たわり、そろえた腕を枕にし、目を閉じて、冷えてゆく。一日だけの命が終わる。

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【463】
 街は満ち足りている。赤子は一年に一度男の子と女の子が二十人ずつ天から降ってくる。畑も牧場も街を囲う塀の内側にある。広さは人々を充分養える。塀はとても高い。街の外に続く門は一つきり。偉大なる炎の門の先は見えない。だというのに、人々は天使と悪魔の存在を知っている。

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【464】
 「今日は何を議論しようか」「生まれもった才能で幸福の総量は決るか」「議論」「議論」「前から言おうと思っていたが」「たぶんそれは私も知っていることだと思うが」「思うが言うぞ、議論とは独りでするものじゃない」よく知っている。目が覚めた。湿った布団に西日が射している。

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【465】
 あなたを満額にしてアゲル、と言って女が札束の雨を降らせてくるので、満たせるものカヨ、と男は吐き捨て、体で紙幣をなぎ倒す。

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【466】
 万能の智で答えるだけの存在、慧眼で選ぶだけの存在、敏い機微で問うだけの存在、何もかも忘れるしあわせなだけの存在、森羅万象あまねく事物を記憶にとどめるだけの存在、凡人。かつての導かれし英雄たちは、いまは片田舎で、欠けた体をかき合わせ、完全な球体として暮らしている。

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【467】
 皆な向こう側であなたの悪口を言いながら待っている、と膝の上にのせた娘が教えてくれた。向こうってどこだ。訊くと、眠りの国に連れ去られる寸前の、半分虚無に落ちかかった声で、ここよと答える。

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【468】
 生まれ変わって四本足の喜びのままに野を駆けめぐっていた時間は一瞬で、その後五十倍の年月を檻の中で過ごしている。

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【469】
 ポイポイポイポイポイポイポイポイ、心臓のほかすべてを捨てました、報いをください/うわっ、うわっ、うわっ、うわっ、きったねえなあ、誰だよ、こんなとこにクズ肉捨てやがって/おかあさーん、おかあさーん、おかあさーん、おかあさーん、見つけたよーっ、心臓と、人間みたいな心!

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【470】
 幅の広い川のどこからか小舟が一艘流れてきて、流れていくまでの時間の間、奇跡は叶えられるのだが、いつもいつも、めざとい魔法使いが消えさりの魔法を使って、小舟の姿を隠してしまう。

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【471】
 少し黒いだけの雲は尋常ではなかった。雨は巨大な壁に姿を変え、人々に迫った。ゆっくりと歩くような早さで、あらゆるすべてをへし折り、地表に叩きつけ、泥と肉塊に変え、洗い流してゆく。やがて壁と壁がぶつかり合い、星は海の中に閉じ込められた。

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【472】
 一日の間誰とも口を利かぬ老婆は、毎晩家に帰ると、床の間にしつらえた四畳半ほどの床面積の水槽に通電し、青い水に沈んだ白皙の少年に、湿度一〇〇パ、セ、ン、ト、降水確率一〇〇パ、セ、ン、ト、と繰り返しつぶやかせて、泡の音を子守歌がわりに、安らかな眠りに就いている。

 *

【473】
 毎年酷寒の候に、村を出て偉くなった幼なじみから手紙が届くが、ムカつくので彼女は字が読めないふりをして燃やしてしまう。毎年酷寒の候に、彼は手紙を燃やされるが、彼は幼なじみが字を読むため猛勉強したと知っている。互いに忍耐が切れたとき、相手に詰め寄るために会いにゆく。

 *

【474】
 傘の作りかたを忘れた人々は、ああでもない、こうでもないとやりながら、いつからか街で見かけるようになった巨大なタカアシグモを捕まえて、頭上に掲げては、これのような、という気がしている。

 *

【475】
 卑怯者はいつも謎かけから始める。二人は同じものを口にしている。だが違うものを味わっている。それが何か分かるか。もう一人の卑怯者は返答代わりに口を塞いでやったりしない。それは言葉かしらと模範解答をする。自分の心の揺れさえ完全に安全な場所から眺める対象にしてしまう。

 *

【476】
 足が八本と言えば、傘、タコ、蜘蛛、基盤、動き出したピザ。二の三乗。自然界でも産業界でも存在感のある、神秘的で機能的な数字だ。そういうわけで、男は生活のあらゆる場面で八を願掛けに用いた。八月八の日。八つの棘八枚の葉八本の薔薇。八文字の愛の言葉。八文字の別れの言葉。

 *

【477】
 彼は苦痛からもっとも離れた顔で踊りまわる狂人の群れを指した。人は人の身と人の時間を超えられない。人がさわる魔法もまた人に足りる願いしか叶えない。過ぎた望みは人の丈に縮小され、頼んでもいないのに発現する。それがあの幸せな夢であり、軽すぎる幻にももちろん代償はある。

 *

【478】
 目を閉じていると、ぽと、ぽと、かさ、かさ、と軽いものが落ちる音と草が鳴る音が聞こえてきて、たしかに一歩歩くごとに手指が落ちていく感触もするのだが、目をひらくとたちまち人間の記憶は失せ、彼は翼を広げたまま地上の鼠を狙っている。

 *

【479】
 母親は、もしかして、この娘は一生鏡を見ずに成長し、自分の姿を定めずに生きていくことができるかもしれない、と考える。

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【480】
 朝寝坊しなかった自分の影が先をゆく。お弁当を忘れなかった自分の影が先をゆく。靴ひもがほどけなかった自分の影が先をゆく。寝癖をとき弁当を持ち靴ひもを結びなおして、私は後ろからついてゆく。先行する無数の影を目で追う。最前列の影は確信的に正しい赤子の写し姿をしている。

 *

【481】
 枕元に現れて夢魔は尋ねる。尊公は何処で思考するのだ。寝ぼけた男は答える。脳だ。夢魔は脳を盗み去る。余所の枕元で夢魔は尋ねる。また寝ぼけ者は答える。心臓だ。指先だ。眼だ。暁のまえに夢魔は全身で考えるばけものを練り上げた。一方でうつろな体たちはやさしい微睡みにある。

 *

【482】
 誰も何も言わなかった。夜の闇を真昼に変え、炎の雨を降らせながら墜落する光の尾を見ていた。中に誰がいるのか皆知っていた。後に映像をまわすと確かに轟音で大気が震えていたのに、そのときは誰も音を聞いていなかった。覚えていたのは、花火だと無邪気にはしゃぐ子どもの声だけ。

 *

【483】
 石の国を訪れた旅人は、その美しさと不可思議な佇まいに驚いた。町並みも城郭も通りに立ち尽くす人もみな琥珀色の石なのだ。石の果物を含み笑う石の子ども、石の反物を売る石の男。もしやと見上げると空もまた飴色の石であり、胸騒ぎに押さえた胸は指先ごと固結し、旅人は結晶した。

 *

【484】
 両手で目をふさいだ女が「取れた、取れた」とよろめく。/両手で目をふさいだ女が「取れない、取れない」とよろめく。

 *

【485】
 色とりどりのメニューにこの国の料理が並んでいる。隣の多国籍飯店では他国の料理が、誰かの家では誰かの料理が湯気を立てている。電子映像は並行して走る。鋏はあらゆる髪型を切り抜く。幾億もの服が袖を通されるときを待っている。わたしは一人しかいないし、すぐにいなくなる。

 *

【486】
 起きている風景は目の数だけ用意したのに、寝ている景色はまぶたの裏たった一つしかなかった。ひょっとしたらこれは不公平なんじゃないか、と神さまが気付いたのが四百万年くらい前。そんなだから夢の生産はまだ目の数に追いついていないんだ。だから心配しないでおやすみなさいな。

 *

【487】
 鋼鉄の円筒。赤熱の焼却炉。腐敗した食物が散らばる。メタンガスは立ちのぼる。来歴不明の汚物は垂れる。三日前にブロッコリーの森に生まれた小鳥。三日後に森が腐って枯れてしまうことを知らない。幹をくぐったり、蕾に頭を突っ込んだり。今は菌糸に絡まって虚ろな眼。

 *

【488】
 季節外れの寒気は十日目にさしかかり、夏のはじめに食べたすいかの種はゆるやかに枯れつつあった。彼の手足はもうほとんど動かない。友人たちは泣きながらつる草をなでた。また夏が来たら。小さな声たちは慰めの励ましを交わす。電子百科を開いた眼鏡の子は一年草よと鋭く囁き返す。

 *

【489】
 アスファルトに立ち昇る陽炎の向こうから夜七時にさよならした隠れ鬼が駆けてくるので、子どもたちは皆それぞれの家に逃げ込んだ。鬼はひと夏の間に破られた約束の分だけ指切りして、ことさら勲章みたいに首飾りにしてぶら下げる。誰かがもういいよを言うまで首の重みは増してゆく。

 *

【490】
 「発芽はいつ頃かね」「海開きの日にすいか割りをしたそうで」「体組織がほとんど融合している」「まれにみる」「先生、最後の一葉という物語をご存知ですか」「一年草」「厳しいのでは」「つる草が枯れ始めています」さえずる学者に囲まれて、ベッドの中で虫みたいな息をする。

 *

【491】
 君は泣いてる。僕は鳥のくちばしに引っかけられたミミズのことや、荒野の真ん中で遭難した冒険家のことや、サカマタだらけの氷海に置き去りにされたボートの上で吠える犬のことを考えてる。君は泣いてる。もしもはない。そうならないための別れ道は、もうずっと前に通り過ぎたあと。

 *

【492】
 秋頃から悪寒が止まらない。原因は知ってる。炎天下のあの日、僕が砂浜で飲んだすいかの種だ。見舞いに来た友人たちは、がりがりの手足に絡んだしなびたつる草をさすってくれた。「また夏が来たら」励ましの声は優しいけど、眼鏡のあの子が開いた電子百科はイチネンソウと囁いてる。

 *

【493】
 内側にいると寒い外側からさわると冷たい。

 *

【494】
 あると思うならば赤い頭巾をかぶりなさい。ないと思うならば青い頭巾をかぶりなさい。あなたが人間か、もしくは蛸ならば、白い頭巾を差し上げてもいいです。

 *

【495】
 ワンルームの空間を行ったりきたりするような要領で、一日の時間の上を進んだり戻ったりができた。机上のリモコンを取るような手つきで、二区間しかない通勤電車に乗り続けた。空いているコンセントを探すような眼つきで、沈まない夕暮れを眺め続けた。部屋にはドアと窓が無かった。

 *

【496】
 深海の底に逃げてしまった恋人を追いかけているのだと彼が打ち明けると、告白を聞いた相手は必ず感極まって、彼に浮き袋を提供しようとみずからの腹を抉ったあげくに狂死する。

 *

【497】
 皆が氷や密林に覆われた前人未踏の最高峰を模索する一方で、男は海抜マイナスの日本海溝から富士山へ至るルートを踏破する計画に線を引きはじめた。

 *

【498】
 身を寄せ合ってひそひそ話をしていた人々は、とうとう、十年もの間恐ろしい戦いに勝ち続けた誇り高き戦士に、貴方が手に入れた王冠は規則上の問題により無効ですと教える役のくじ引きを始めた。

 *

【499】
 廃墟に巻きつくツタの葉が、わたし聞いたんだけど明日は雨が降るかもしれないのですってと隣の葉に囁いて、隣の葉もまたそのようにして、崩れかけた石壁ぜんぶが、雨の到来を期待して揺れている。

 *

【500】
 妻が鏡の中で男と浮気するのでと言いかけたところで向かいに座る女からコップの水を引っかけられる。

 *

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