#twnovel
星雲
321〜  341〜  361〜  381〜  *last update 03/04: 【371】〜

【301】
 海を知らない少年は、物知りの祖父に手を引かれて、近くの川に出かける。流れの速い浅瀬にはだしを浸して目を閉じる。優しい声が言う。鼻先を川上に向けてごらん。寄せ波だ。鼻先を川下に向けてごらん。引き波さ。少年は目を閉じたままくるくると回って、海という現象を感じている。

 *

【302】
 音速で駆けてあの娘の前に飛び出して、あわててそれを捕まえる。なあにそれ? あの娘が訊く。蠅が飛んでたんだよ。ぼくは答える。うしろに隠した手のなかで、「好き」がつぶれて死んだ。

 *

【303】
 開拓時代のエンセラドスは巨大間欠泉で罪人を処刑したとされる。静止軌道まで噴上がった骨破片の概算が星の総人口を凌駕しているのは周知の事実だ。隔月で訪れる極大期に万単位の打ち上げを敢行した過去の証拠は、人間が作る半球面を記録したコラージュめいた映像ただ一つである。

 *

【304】
 無意味な言葉の羅列に対して意味を定義することを、イザレティーザイドと呼ぶ。イザレティーザイドとは何かというと、無意味な言葉の羅列である。無意味な言葉の羅列に対して意味を定義することを、無意味な言葉の羅列と呼ぶ。

 *

【305】
 魔の国との境界にあるこの町には、首が三百六十度ねじれた人に似た怪物が、何食わぬ顔でひそんでいる。怪物は哀れな誰かを暗がりに誘い込み、首をねじり整えて新たな同族に仕立てあげる。怪物と人を見分けるためには酷寒の候を待つ。くるり一巡りする白い吐息は怪物とて隠せない。

 *

【306】
 気の迷いが一度も起きない祝福を受けた代わりに、まっすぐ引かれた一本の道の果てでうずくまるみずからの死のさだめが見えている。

 *

【307】
 火山が地下深くから運んできたマントル由来の捕獲岩を反対側が透かし見えるくらいに薄く削って、光に透かして、偏光させて、顕微鏡でようやく見える斑晶について熱く語る彼の学生たちは、彼が学生らに向けるのと同程度の関心さでもって、彼の話を眺めている。

 *

【308】
 無邪気な学生を装って、大学の奥深くに生息する、化石みたいな火山センセにインタビゥをすると、もちろん予測通りに、噴火災害が大きければ大きいほど沸き立つ学者センセの心の業を教えてくれるので、ポケットに忍ばせた録音機が、まるでナイフみたいに頼もしく思えてくる。

 *

【309】
 素顔を隠すための仮面の上から表情を作るための仮面をかぶせる。ほほえみかなしみたくらみ。紐で束ねた8ビット枚の仮面をしょって、誰かとすれ違うたびにおもてをつけかえる。感情の強度は本人の責任の元で数値化されている。精神の平等を求めた者達はここまでたどり着いたのだ。

 *

【310】
 金貨みたい。違うよ線香花火の先っぽだよ。夜の帰り道。低い満月を二人で指さしていた。お城みたい。違うよ秘密基地だよ。引越し先。木の匂いがする一軒家の中を走り回っていた。お姫様みたい。違うよ三十過ぎたおばさんだよ。純白のレースをかけられた姉さんはお嫁にいった。

 *

【311】
 振り出しに五度戻された男の記録が残されている。数々の偉大な業績を残した彼の人生は、特に二周目以降、余人の目にはまるで生き急ぐ早送りのようであったという。しかし遺された彼の五帳の日記は、二冊目からずっと退屈で時が止まりそうだという内容で占められている。

 *

【312】
 誰かが耳元で囁いてくるんだ、と訴えてくる患者をなだめるために、では中を見てみましょうと診察のふりをして患者の耳をのぞき込むと、血走った眼と目があった。

 *

【313】
 まっ平らな地平を二つに割いてのびる黒い細い道をとぼとぼ歩く彼の少し先には、彼と同じ姿勢、同じ歩幅、同じリズムで歩く誰かの後ろ姿があり、また彼が振り返ると彼の少し後ろにも、彼と同じふうに歩きながら背後を気にする誰かの後ろ頭が見える。目を凝らせば奥にもまだ見える。

 *

【314】
 彼の偏頭痛は酷く、夜も眠れぬほどだった。ほうぼうの名医を訪ねてまわっても回復のきざしはなく、とうとう思い詰めた彼は、原因である頭を取り替えることを決意した。だが手術から目覚めた彼が得たのは安息ではなかった。頭痛は去らなかった。彼が交換したのは身体だった。

 *

【315】
 「頭痛が酷いときって、誰でもいいから頭を交換してぇー、って思うことない? 辛さを誰かに肩代わりしてほしいっていうか」「あー、わかるわそれ。ほんと膀胱は交換したくなるよね」

 *

【316】
 パン! 爆音とともにおへその中心から赤黄緑のカラフルな紐を飛ばして、呻いたりえずいたりしながら床に崩れ落ちるポーズ。床に横たわっていると涙が流れてくる。クリスマスの季節はクラッカーを買って背後から撃たれるごっこが欠かせない。テレビの音が優しい。小腸が壁に届いた。

 *

【317】
 後ろでドカンと音がした。オッ? おれは背中をあったかい空気のかたまりに押されてオットト後ろから押されてオットトあぶねえなと思ったので、おれは振り返った。

 *

【318】
 明日が焼き払われますようにと祈る誰かの願いは叶わない。赤く燃える地平線に臨む資格があるのは今日にとどまる者だけだ。

 *

【329】
 村外れに暮らす男は口の中に封印している悪魔が逃げ出さないように、一言も言葉を発さず、鼻だけで呼吸し、咳の一つもせず、健やかに暮らしていた。村人から不気味と指さされても知らぬ顔でいたが、あるとき友達がほしくなり、手紙を書くことを思いついた。悪魔は文字に乗り移った。

 *

【320】
 めがはなだったらしおれてる。/顔にめもはなも付けてるくせに光合成もできないなんてカッコ悪いよきみ、などと言う。/めが出て膨らんで、はなが裂いてみになって、皮と骨をメリメリ破って現れたエイリアンは、シャワー貸してください、と言って恥じらった。

 *

【321】
 耳がとても良いので、急行電車の隣に座る人が無音イヤホンだということも知っている。鼻がとても良いので、反対隣の人の持つのが造花の花束と知っている。目がとても良いので、向かいの人の首の継ぎ目が見える。この電車にはロボットしか乗っていないことは明らかである。

 *

【322】
 しあわせのお布団を一枚かぶっておやすみなさい、すこし寂しいのでもう一枚かぶっておやすみなさい、もうほんの指の先のちょっとだけ寂しいのでもう一枚かぶっておやすみなさい、重たすぎて、眠れない。

 *

【323】
 男は片頬をひきつらせて笑う。陰気な顔つきから垣間見える一瞬の表情に親愛の情がわき、おれは困惑する。見知らぬ相手だというのに。帰宅したおれは妻の傍らで眠る天使を見やる、ドキリと胸が跳ねる。見憶えのある表情。年を重ねた天使はおれよりあいつに似るだろう。

 *

【324】
 「今日が賞味期限です」そう書いた特大の付箋を額に貼り付けた女を二割引で購入して安アパートに連れ帰る。四畳半の部屋の真ん中にビニールシートを敷いて女を座らせて、そのときが訪れるのを待つ。十二時の少し前に女をかじる。十二時を過ぎてからまたかじる。おれはお腹を壊した。

 *

【325】
 誰かが亡くなると半旗を掲げて帰港する。初雪をためた杯を年代別にしまいこむ。隕鉄を見つけて虫あみ片手に駆けてゆく。切らない髪の毛の価値が高騰する。手袋の指が八本ある。未来の動物の化石が床下から掘り出される。枕の下に隠した穴だらけの初夢は、もうじき宝の地図になる。

 *

【326】
 男はしばらく考えたが、左腕にじかに埋まった巨大なルビーを誤魔化すためには、左腕にぴったりあつらえた穴の空いた腕輪をはめて、ルビーの腕輪ですと称するほか無いように思われた。

 *

【327】
 渾身の叫びをぶつけると化け物の表層がべろりと剥ける。憎悪の罵声を浴びせ続けて、削いだ腐肉の下から現れた化け物の正体は、痩せこけた哀れな男の形をしていた。すすり泣きを無視して肉を拾い纏い暗いほうへと駆ける。次に誰かに面罵されるまで、化け物の孤独は自分だけのもの。

 *

【328】
 三日のあいだ川上から足ばかりが流れてきて、足のあとにまたしばらく待つと触覚が二本流れてきて、最後にとてつもなく巨大な胴体が流れてきて、ダンゴムシは彼らの王様が戦に敗れたことを知った。

 *

【329】
 女の子は抜けた歯をチョコレートの包み紙にくるんで魔法をかける。男の子は抜けた歯で弾丸を作る。かわいそうな旅人はこんな集落に迷い込んだ己の不運さを声なき声で嘆いている。

 *

【330】
 その建築家は、子供の頃に読んだガレージ船や尖塔付きのお城が描かれていた図解絵本のことが忘れられずに、鋭利な切断面とカラフルな側面を見せつけるような建物ばかり設計している。

 *

【331】
 一年後に迫った滅亡の危機を避けるため、男は単身過去に跳び、悪の根元たる教団の開祖を葬り去った。男の時代は平和そのものとなったが、男が元の時代に戻った途端に、過去のその瞬間から男以外の皆が共有してきた時の積み重ねが彼の体をねじりつぶした。

 *

【332】
 未来からやってきたロボットによると、彼ないし彼女はロボット三原則に従っているとのことで、その話を聞いた科学者と生物学者と哲学者と医者はロボットの前で額をつきあわせて君のいや私たちの未来が選んだ人間の定義を教えておくれ、と半泣きの顔で言った。

 *

【333】
 頼むからほうっておいてくれと懇願すると、メイドロボットはかしこまりましたと返してしずしずと部屋の隅に後退し動きを止めたが、彼の感じやすく繊細な感覚は、メイドロボットがあらゆるセンサーを研ぎ澄ませて再起動を告げる彼の声を監視していることに気づいた。

 *

【334】
 どこにでも、なんでも、いくらでもある。ない以外の全てがある。

 *

【335】
 寒気が地を剥ぎ取る冬の候、肌がだんだんと乾きはじめ、体が縦横にひび割れていき、ある朝眠りから覚めると、老人は殻を脱ぎ捨て瑞々しくやわらかな少年の姿となっていたが、生まれたての肌を硬くするために裸で戸外に出ていたところ、たちまちよくない者から補食されてしまった。

 *

【336】
 彼は手足が胴体に突き刺さってしまったふりをすることで、たいていの異星人から同情を勝ち得ることに成功している。

 *

【337】
 目が覚めるときにちょっとした手違いが起きて夢から出られなくなったので、仕方なく夢の中から現実の自分に向けてああしてこうしてと指令を出している。

 *

【338】
 あなたのために祈りますので、わたしにご飯をください。あなたのために働きますので、わたしを守ってください。あなたのために戦いますので、わたしに希望をください。

 *

【339】
 細長で恥ずかしがり屋の恋人は、普段はカーテンレールの溝で暮らしており、冬が近づいて寒くなってくると、起き上がってカーテンのひだの陰に移動したりする。

 *

【340】
 そいつは、完全に安全な暖かい部屋の中に、土足で荒々しく踏み込んでくる。施錠した玄関をものともせず、そこらに荷物を放り出し、冷蔵庫の中身をさらい、湯船を使い、布団に潜り込む。私は恐ろしさにうち震えてただそいつの顔を見ている。この夢の持ち主はまだ私を許してくれない。

 *

【341】
 太陽が昇ってまた沈むまでの日がな一日、老人は呆けた顔で椅子に座る娘に対して、いいかね、君は百年の眠りから覚めたのだ、だから二度と君の世界だった場所に帰ることはできないのだよ、と根気よく諭し続けている。

 *

【342】
 テレビの中で縦横に躍動するアスリートを観て、いかに彼のことが好きであるかを語っていると、老いた母が隣から、そいつはあんたのことを知っているのかね、と言ってくる。

 *

【343】
 最期の眠りについた夜、男の目の前に現れた存在は、あなたは生前に善行を積み試練を突破したため極楽行きの権利を与えます、と脊椎を鷲掴みにするようなきれいな声で告げて奥に控える黄金の扉を示したが、男がいざ進もうとすると、一歩踏み出すごとにどこからか嘲笑が聞こえてくる。

 *

【344】
 まず試験管をガスバーナで熱して、十分に熱せられたら、勢い良く左右に引き延ばす。するとガラスがひゅっと細くなるから、中心の太さが均一のところで折り取る。上手い具合に細いガラス管ができたら妖精作りの準備は九割がた完了だ。本番は試験管の中に女の子を入れるのを忘れるな。

 *

【345】
 人類が原初の百日間におかした過ちの最たるものは、未来を告げる天使を殺してしまったことだろう。我々は彼らを葬るためのすべをあみだすよりも早く、彼らの言葉を任意に締め出すための耳栓を作り出すべきだった。今からでも間に合う。だから武器を捨ててこの耳栓を買ってください。

 *

【346】
 人よりのろまな彼の時間は、比喩でなく本当にゆっくり流れていた。学者は彼のニューロンを除いた全てが第五元実在干渉子の抵抗を受けていると証した。それからだ。私は彼の手をふり払えない。まるで普通のていで私に触れてくる手が、まさか千年の旅をこえてきたと知ってしまっては。

 *

【347】
 物語はあらゆるところに現れては、解読されている人々を殺し、知覚が及ぶ前の混沌に新たな命を生み、無謬の地平に憎しみをばらまき、駆ける獣の足を切り取り、檻の中の子どもに翼を与え、ことごとく明かされた暁の中で息絶えた。

 *

【348】
 奇跡かイカサマかを判別できる状況ではそれは決して起こり得ず、観測の目をくぐり、ただ一人が発生を知覚するときのみ現れる。私の場合それが植物の異常成長であり、階段から母親の足音が聞こえた途端、鉢植えから天井を目指していた草たちは動きを止めて、私は天への梯子を諦める。

 *

【349】
 遠い国では、地平に沈んだ太陽をまた昇らせるため選ばれた巫女が毎日欠かさず祈り歌を捧げており、また別の遠い国では、彼らの体を焼き滅ぼす太陽を地平に沈ませるため選ばれた王が呪言を唱えており、どこか近い国では、太陽の運行は誰かの恩恵でなく単にそういうものとされている。

 *

【350】
 「皆も集まったようだし事件の謎を解こうか。この事件最大の謎は密室にいた被害者を誰が殺害したかだ。実は側頭部の陥没痕と壁の血痕が重大な鍵なのだ。そう、被害者は時空が九十度傾いて落下死したのだ。ネット文書から縦書きエディタにコピーされて殺された。つまり犯人は君だ」

 *

【351】
 貴様は生前重罪を犯した、よってようかん埋めの刑罰に処す、せめてもの慈悲だ、正味期限前に頭から喰ってやろう、と言ったきり閻魔は私のことを忘れてしまったらしく、仕方がないので、隅々まで黴の支配が及んでしまった牢獄をかじりながら、檻を喰い破った先の日々を夢想している。

 *

【352】
 祭りのあともしばらく街をさまよっていた老人は、空中に固定された薄桃色の輪の正体が、自らを食い尽くした女のなれの果てであるとふとした拍子に気づいた。

 *

【353】
 集積所には星の数ほどのバスが集まる。行先は四次元で指定され、ダイオードは同じ座標の組合せを二度と点さない。定員はぎりぎり一人だ。終点には自分の運転でたどり着くしかないが、孤独な旅に飽いたら人を乗せても構わない。積載量上限と知ったうえでの行為だ。誰も止めはしない。

 *

【354】
 泥棒、泥棒、と聞こえてきた方角から猫がぱっと駆けてきて、少し先の路地を曲がっていった。消えたしっぽを見送っていると、返して、返して、と怒鳴る女が同じ路地に飛び込んでいった。最後に、とても悲しい猫の声と、猫の形をした影が、路地の暗がりへ滑りこむようにとけていった。

 *

【355】
 北の高原に暮らすひとびとは、幼子が初めて自発的に言葉を紡いだその日を喪失の日として記録する。最初の言葉が渡る風に乗ってもっとも遠い地平に逃げた頃、ようやく若者になった幼子は、うずたかく積まれた記録の綴じ目をほどき、失われた言葉を胸に刻み、遙かな大地へと旅に出る。

 *

【356】
 朝の少し遅い電車の中で、座席に浅く腰掛けた女の子が、泣きながら、足下から少しずつ、消えてゆく。

 *

【357】
 死した魂は天へ飛び立つが、感覚は地上の肉体に囚われるため、死者の初めての旅路は墜落そのものだ。雲上の国に到着した瞬間、魂は疑似的な衝突に襲われる。負荷に耐えきれねば粉微塵で、先住の強き魂らはまさにそれを待っている。涎を垂らし、再び地を踏むほどの重石を得るために。

 *

【358】
 行き先が火星なら片道でもいいんだけどな、という独り言は誰にも拾われない。

 *

【359】
 ふいに先生は惑星比較学報から顔を上げ、「宇宙飛行士の公募が始まったけど」と言い「実はぼくも目指すと決めた」と言い「きみには悪いがもう研究を見てやれない」と言い「この歳だからたぶん最後の機会なんだ」と言った。私は黙っていた。先生は寂しそうに今日は四月一日と言った。

 *

【360】
 恋したあの機はコンピュータ、ぼくはラウンドロビン・フォーリンラヴ、細切れミリセカンドじゃ伝えられないストリーム、MACアドレス追いかけて、返事はいらないLOVEイズPING、やっぱり聴きたい君のACK、ねえTCPでもTELNETでもいいから回線開いておくれ。

 *

【361】
 枕元に立つその人は、おもむろに最後の十二時が過ぎたと告げ、私は彼が死神であることを知った。

 *

【362】
 凍える心臓は、すなわち彼女のことで胸が満たされているということなので、氷の女王は、餓えた愛を地平に走らせ、命のかぎり、雪原をゆく人々に氷晶を刻みつけている。

 *

【363】
 病魔は鼻垂れた。

 *

【364】
 昔はね、ぼくもかれらもプログラマだとか証券屋のところで生活をしていたんだけどね、でも分かるだろ、あそこはいつも乾いて乾いて仕方がなかったから、逃げ出してきたんだよ、そう、サーファーであるきみのところにね、と言って、鏡の中の化け物は百万のウィンクをよこしてきた。

 *

【365】
 よし、こうしよう。君は大切な人を亡くしてなんていないし、僕も腹に銃弾がめり込んでたりしない。あと五時間も待てば朝日はまた昇るし、コロニーのみんなはかくれんぼしてるだけだ。酸性雨の切れ間には虹だってかかる。それでどうかな。

 *

【366】
 暗き森を行き、余人の声は聞こえず、草土を踏む音だけが木霊し、鼻先まで迫る闇を枯れ枝で追い払うばかり。授かりしさだめの通り、旅人は孤独な道を何年も歩き続けた。ならば偶然に行き当たった誰とも知れぬ人間に心を奪われたとて致し方ないのだ。そう言い聞かせ、神は嫉妬を隠す。

 *

【367】
 とても寒い日帰り道、手首で手の甲を暖める。とても寒い日お布団の中、足首で足の甲を暖める。とても寒い日あなたのとなり、首であなたのお顔を暖める。

 *

【368】
 人と人の間の距離が斥力を生み出す世界では、思想や意志の伝播は声によらず、拾うことを期待された孤独な受け身の文字綴りや書物のみが支配的となるだろう、と老詩人は虚空につぶやいた。

 *

【369】
 その女優は、祖先が綴った文字を誰も読めないという現実をどうしても許せない。皆が発音を忘れるほどの無音の時代があったのならば、そのときはなぜ今ではないのか。言葉は拡大し、誰も彼女を忘れてくれず、彼女は誰とも話さぬことで太古の忘却術にささやかな願いをかけるしかない。

 *

【370】
 かつての恋人を脳裏に描きながら、腕の中のやわらかい体を抱きしめる。喪失の痛みは消えず、恋人の代わりは永遠に手に入らず、あの頃の時間は二度と戻らない。たった一つだけ、失われた全てを取り戻すためのすべがある。信じるか思いこむことだ。「おまえが好き」という言葉と心を。

 *

【371】
 休眠を終え覚醒するたび男はポッドから飛び起きて叫ぶ。現在の塩基配列は七千二百五十八京、これでは三億三十万三千四百八十二秒しか生きられぬではないかあっ。寝ている間に男のDNAは何者かの手により持ち出され、崇高なる使命が待つ目的地までの寿命が徐々に危うくなっている。

 *

【372】
 光より早くても間に合わない。遠い故郷からの手紙は間に合わない。ふとした拍子に顔が見たくなった気まぐれは間に合わない。温かいシチューを煮込む腕は間に合わない。そばでささやく声は間に合わない。いまは静かに横たわるその人に、もう誰も何も間に合うことができない。

 *

【373】
 かつて昼と夜との長さが同じ日には、ダイラン樹の下を通る婦人に、好きに接吻をしても許されていたので、来たる日には、街という街、村という村で、女は樹の下を通り、男は待っていた。向かい合う瞳には火花がとび、樹はたちまち燃え上がり、当世に伝わるのは焦げた樹の化石のみだ。

 *

【374】
 無知な人々を集めては蒙をひらき、知を目覚めさせんとつとめた彼の行為は、彼の偉大さに対して人々が漸く理解をきざすまで続いた。

 *

【375】
 お互いに孤独を愛する恋人たちは、その日から、一度も顔をあわせていない。

 *

【376】
 遙か遠い峡谷に巨大な一枚岩がある。巨岩の表層には苔むす石の町が刻まれており、そこに暮らす人々は石の棺に入って眠る。お行儀よい彼らは、目が覚めない日に備えて蓋を閉めて床に就く。町では赤子が生まれるたびに新しい棺が削り出される。町は外に広がり、内は静かな墓地になる。

 *

【377】
 電車に乗った。先客はまばらだ。四つドアの前から二番目すぐの座席に地域の可燃ゴミ袋が丁寧に広げられて敷かれている。半透明の下にはまた薄く広げた新聞紙が見える。みながそれを遠巻きにしている。電車が走り出す。風ではない制動でもない力で、ゆっくりと新聞の底が持ち上がる。

 *

【378】
 しばらく使っていなかった特大サイズの消しゴムを取り出そうと、筆箱を逆さに振ると、まず小さな白い半楕円のゴム欠片がこぼれ落ちて、そのあとに、側面にいくつもの干しブドウがめりこんだ消しゴムがべとんと落ちてきた。

 *

【379】
 筆も紙もペンもインクもタイプライターも閃かなかったが、人が物語を記すには、情熱さえあればなんとでもなるらしい。今年のベストセラーはまさに国境を越えて感動を呼んだ。世界中に張り巡らされた長い一方通行の土の道を、うつむいた猫背の人々がゆく。時に早足で、時に足を止め。

 *

【380】
 早く外に出たいがきみは不完全な体だ。しばらく前から殻の外側をゆく不吉な足音の気配には気づいていたが、きみはひたすら祈るしかなかった。早く! しかし、きみの願いを聞きつけたのは時間の神様ではなかった。コンコンゴンゴン。居心地の良い部屋は破られた。きみは食べられた。

 *

【381】
 彼は人の手になる文字ならば書き順を知ることができるので、逆文字綴りの死の文字に祈りをささげる娘のことがよく分かる。

 *

【382】
 迷い込んだ先の集落で、村人に囲まれて、口々に勝手なことを教えられている。

 *

【383】
 絶海の孤島で暮らす彼は、毎朝起きて直ぐに郵便受けを見に、岬まで歩いてゆく。突端にたたずむ赤い郵便受けは、風もないのにいつでも蓋が揺れている。中から手紙を取り出して、歩きながら、それを読む。午後までの畑仕事の間、内容を反芻しながら鋤をふるう。

 *

【384】
 太陽は傾く。仕事終わりに彼は胸ポケットから紙とペンを取り出して、返事を書いて、今度は投函のために岬へ向かう。夕暮れ色の郵便受けに手紙を入れて、海岸に漂着しているであろう荷を回収して、丘の上のわが家に帰る。手紙は届く。生かされている。この島を出ることはかなわない。

 *

【385】
 黒の縦平面に真円のスポットライトが二つ差し、逃げる男と追う女が映し出される。脚が動く。彼らは真剣だった。二次元に閉じこめられた人間は幾何平面をつなぎ替えても気づかない。二人の位置を交換しても誰も気づかない。二人の距離を銀河の果てまで引き延ばしても誰も気づかない。

 *

【386】
 種モミをまく季節が近づくと、村人たちは豊穣を祈り、村の中心に鎮座するご神木の花粉を清らかな乙女たちの手で集めさせ、湖面に流し、神楽を捧げる。みなもが黄金に輝き、不思議の水がこんこんと涌きあがるころ、誰も知らない水面下では、湖底を栓する女の顔が泣いている。

 *

【387】
 彼は人の願いは何であれ叶えることができたが、代価として世界から同じ願いが叶う奇跡を剥奪してきたので、いまなお残る奇跡とは、誰も願わず、ゆえに顕現しなかった、つま先ほどのささやかなものばかりであり、あと少し未来には、奇跡の入り込む余地のない理性の地平があらわれる。

 *

【388】
 彼らは巨大な緑色の円筒の底に投げ入れられて、天上からは滝のような雨が降ってきて、水位は少しずつ増えてゆくけれど、また円筒の壁面も少しずつ上へと成長してゆくので、立ち泳ぎはいつまでも続き、昏海の底には先祖がたゆたい、天上からは滝のような雨が降ってきて……。

 *

【389】
 寒く疲れた夜に、あえて慰めのための手紙に火をつけて、やはり何事もなく燃え上がり、後悔に歯噛みしている。

 *

【390】
 路地裏で買った素性の知れない安物のランプで行く先を照らして歩くと、炎が照り返るまばたきの裏側に、見た覚えのない幸せな風景がかわるがわる訪れる。

 *

【391】
 人間は体の一部を担保に渡して悪魔から強大な力を借り受ける。調子に乗った、あるいは必死の粗忽者が全部を貸し出しするまで、悪魔はお行儀良く人間に成り代わる隙を窺っているが、いざ手に入れた体を覗いてみると、有り余る力を求めた欲深き魂の正体は、大抵が同族のものである。

 *

【392】
 つながれた牢の中から、がりがりに痩せた死刑囚が、あるときから食べものにリアルな目や鼻や口がついていることに気づいて、まるで共食いしてるみたいで気持ち悪くてついに食事がとれなくなった、と嘆いている。

 *

【393】
 動かなくなった人間の体を固く抱き締めて往来でうずくまっているだけで、道行く人々から、あらゆる来歴を付与される。

 *

【394】
 たいした硬度も持たないくせに、幾億もの子どもたちの頭をなでるなどを繰り返し、彼はいま、磨耗の果てに残された左足で、存在のやさしさを賭して、毛羽立つ断面を傾けて、またぞろ子どもたちの頭をなでている。

 *

【395】
 右の壷から左の壷に朝が流れ込み、左の壷に入ったひびから夜が滲み出している。

 *

【396】
 私は檻の中にいた。外にたなびく霧はたぶんとんでもなく深かった。手紙は有限で、私は誤った。挨拶も心情も、実はこの現状に陥った説明すら必要なかったのだ。気づいたのは最後の一枚のとき。血文字でただ一言、助けてと綴る。あとはできるだけ紙を小さく裂いて霧の中に投げるだけ。

 *

【397】
 少女は瞳の中に天空の星々を飼っていたが、街をさまよううちに、星は一つ二つと輝きを失い、やがてただの石くれになりはて、ついには少女の涙にまぎれて外の世界にこぼれてしまった。

 *

【398】
 死期を悟った村人たちは森の奥深くに棲む大蛇のもとに赴いた。寝ている大蛇の尾に密を塗りつけ、自らは身を清め、大蛇の咥内に身を沈める。目が覚めた大蛇は自身の尾をかじり始め、村人は、虚空に溶ける権利を得る。

 *

【399】
 超光速はとうとう見つからなかったが、代わりに人々は時空制御を法則化することに成功した。種々の旅行の末、地球が流星に砕かれる日のことも分かった。その日が来ると皆が時空を巻き戻した。いつか煮詰められた文明が滅びのさだめを回避する。人の力で新しい太陽を手に入れる。

 *

【400】
 移動する霧の森は、砂漠や、孤島や、古びた人の遺跡から、生き物や、風景や、文明の欠片を拾いあげた。森が通り過ぎたあとには轍が刻まれる。濃霧が見せた夢の残滓でこねられた生き物が、太い窪みに産み落とされる。薄暗い影たちは立ちあがる。遠ざかる母なる森を追いかけてゆく。
|| inserted by FC2 system